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ソラニン



大学生の時に漫画『ソラニン』を読んだ。
内容も雰囲気もわたしにぶっ刺さってしまって、映画のソラニンも、アジカンのソラニンも好きになった。


宮崎あおいさんのことも好きになったし、芽衣子って名前を女の子に名付けたら可愛らしいな〜って今でも思う。




 10月に試験が終わったから、エッセイを書いて、読みたかった本を読んで過ごそうと思っていたのに、うっかり風邪を引いてしまった。私の中で「風邪の中の風邪」ってものを引いたのが久しぶりで、思いの外気持ちも参ってしまった。
喉が痛い。鼻水がでる。体がだるい。やる気が出ない。
元気がないって、こんなに無気力だったっけ。



何かを書こうにも、頭がぼーっとしてしまって書けなくて、図書館に行こうにも、体が疲れてしまっていて外に出たくなくて。



日の当たっているカーペットを見つめ、時折スマホを触って記憶に残らない情報を見るだけで時間が過ぎていく。

体調が万全なときは、ひとりで過ごしていてもやりたいことがあったから特に気にならなかったのに。
考える時間だけがぽつんとあると、マイナスなことばかり浮かんでくる。

しみじみ、わたしはこの部屋にひとりなんだな〜と思ってしまったり、みんな子育てをしたり、きちんと交友関係を育み続けていたりするのに、何も出来ていない自分って…と苦しくなってくる。


わたし、ゆるく下降している?


ソラニンの歌詞が浮かんでは、わたしを突いてくる。

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

ASIAN KUNG-FU GENERATION『ソラニン』抜粋



初めて聴いたときは悲しい歌みたいに聴こえて、それもまあいいなと思った。わたしは切ない歌が好きだから。

ソラニンの芽衣子は、過去の自分とのわかれの歌だって言っていて、そういう捉え方もできるのかって感心したし、自分の考え方次第で内容が変わるのが創作物のいいところだと思った。




ソラニンの新装版で、作者が種田の事故について話していたけれど、わたしはわたしの考察が種田の気持ちに近いんじゃないかって確信していて、(わたしと種田って似ているんじゃないかって思っているから)作者が言うならそれが正しいとは思うんだけど、人それぞれ受け取り方が違っていてもいいよね、おもしろいよねって思っている。




わたしは、種田が主人公になりたかったんだと思っている。バンドでメジャーデビューして、人気になっていくことが種田の夢であり憧れであり、同時に芽衣子と幸せに暮らしていくことも願っていた。
芽衣子と生きていくことのほうが着実で、平凡な人生だからこそ叶えやすく、平凡な人生だからこそ種田は嫌で、メジャーデビューの夢がどうしても捨てきれずにいた。


最後、種田は芽衣子と生きると決めたけれど、バンドで成功したいという思いが、心の端っこを掴んでいて完全に振り切れていなかった。


泣きながらバイクで走って、赤信号に突っ込んでいく種田は「泣きながらバイクで走る自分って、ドラマの主人公みたいじゃん?」ってどこかで酔っていたんじゃないだろうか。そうは思っても、俺はバンドで成功するような主人公じゃないから、赤信号で死ぬこともないだろうし、本気で死にたいわけでもないし、って。そうしたら、本当に事故にあってしまった、みたいな。
わたしはずっとそう思っている。



ひとり、部屋でぼーっとしている。
人間、ごじゃごじゃと考えすぎるのも良くないなと思う。


じゃがいものソラニンを食べないほうがいいなら、ストンと包丁で切り捨ててしまえばいい。

膿が溜まってしまったなら、針で穴を開けてだしてしまえばいい。




困ったとき、苦しいときこそ複雑に考えずに、簡単
に簡単に。






もしサポートいただけたら、部屋の中でものすごく喜びます。やったーって声に出します。電車賃かおやつ代にさせていただきます。