許さなくていい

この世で自分しか知らない秘密って、あなたにはあるだろうか。
誰しも一つくらい持っているものだろうか。
とりあえず、私にはある。

私が17歳の時にそれは起きて、色々な複雑な状況が重なって、私はそれを一人で抱えていかなくてはならなくなった。
その時からもう10年以上経つけれど、その時に起きた出来事について、私は誰にも、一度も話したことがない。
前もって言うが、ここでもその内容については書かない。
具体的なことは書けないので、この文章もどうしても抽象的なものにならざるを得ない。
そういう思わせぶりなのが嫌いな人は読まないほうがいいと思う。
この文章に関しては、わかりやすさは二の次で、自分のための気持ちの整理というか、振り返りのために書いている。

*

それは私と私の家族に関する出来事だった。
私が具体的なことを書けないのは、これが私一人の問題ではなく、私の家族に関して非常にプライベートなことだという理由がある。
ただ、登場人物は誰一人として悪くなく(身内の擁護ではなく)、けれどそのせいで私はたった一人で秘密を抱えることになった。

そのことがすごく怖ろしかったけれど、それは私しか知らないことだったから、私は表向き苦しむことすら許されなかった。
何も起きていない、何も知らない、昨日までと同じ私でいなければならなかった。
これから先も、ずっと、終わりなく、もしかしたら一生、そうい続けなければならなくなった。

その時に、あ、誰も助けてくれないんだ、と思い知った。
正確には、この状態の私を誰も助けることはできないんだ、と思った。
結局私には私しかいなくて、自分を助けられるのは自分だけで、他人を救ったりするなんて本質的な意味では不可能なんだって、そう強く思ったのを覚えている。

*

具体的なことには触れられないのにどうして今これを書こうと思ったかと言うと、つい先日、この記事を読んだからだ。

起きた出来事自体は全然違うのだけれど、家族の話であり、登場人物が両親と兄であること、それが起きた結果、自分一人でそれを抱えていくことを決意したこと、振り返って、それが人生で一番つらかった日だったことなど、枠組みが私の経験とあまりにも似ていて、思い出さずにはいられなかった。
特に、このフレーズがあまりにも、当時の私の感情そのものだった。

でも、あまりに報われない私が、あの病室でまだ泣いている。

報われない。
そう、まさしく「報われない」と、かつての私も思った。

誰にも言うことができなかったけれど、ただ胸にうちにしまっておくこともできなくて、こっそり書いて、誰にも見せることなく沈めたテキストがある。
その中でこう書いている。

1人で誰にも知られないように泣かなければならなかったあの日の夜がずっと忘れられない。自分が傷ついた分誰かを傷つけてやらなければ気が済まない、子どもじみて凶暴な復讐心だ。
私は恨んでいる。私は怒っている。そしていつか必ず、食らった分はやり返してやると決めている。そういう約束をすることでしか、17歳だったあの日の自分に報いてやる方法がわからない。

あの夜、閉め切ったまっ暗な自分の部屋で一人、誰にも気づかれないよう寝たふりをしながら声を押し殺して泣くしかなかった自分を。
誰も悪くない。だから飲み込んでなかったことにするしかなかった、報われない17歳の自分を。
仕方ない、と諦めて捨て置くことが、私にはできなかった。

だから、私とちゃこさんで決定的に違うことがある。
それは、ちゃこさんが「許す」と決めたのに対して、私は「許さない」と決めたことだ。
何を許さないのか、と聞かれたら、自分でもうまく答えられない。私をそういう状況に追い込んだ複雑な状況すべて、というのが正しいのかもしれないし、そのきっかけとなった家族が、というのがわかりやすいのかもしれない。

とにかく、この文章を書いた時に、私は「許さない」と決めた。
だって、私が許してしまったら、あの日の孤独な私はどうなる。
私は、私だけはあの日の自分に寄り添うと決めた。

*

「許す」という行為は尊い。
心から許して、わだかまりなく生きていけるならそれがきっと一番正しい。
でも、心は本来コントロールなんてできない。
許したいと思ったからって心の底から許せるようになるわけでもないし、反対に、許したくないと思っても許していることだってある。

だから、できることはただ「許す」か「許さない」かを決めて、その決断と感情の不一致に心が悲鳴を上げたとしても、「自分は許す/許さないと決めたのだから」と腹をくくって生きていくことだけだ。
ちゃこさんが「許す」と決めたように。
私が「許さない」と決めたように。
さっき、「ちゃこさんと決定的に違う」と書いたけれど、それは結局どちらも同じことなのかもしれない。
それはどっちも、全然きれいごとなんかじゃない。

許すんだって許さないんだって、自分の意志で決断したのならどっちだっていい。
でも、もし「許す」というその尊さや正しさに追い詰められるように「許さなきゃ」と思う人がいるのなら、私は言いたい。

許さなくていい。
正しさのせいで取りこぼされてしまう人がいるなら、私は正しさの裏側に立ちたい。
許さないことを許す人でありたい。

*

17歳のあの日から10年以上たった。
時が経ちすぎて、もう思い出すこともあまりないし、全部どうでもいいような気もし始めている。
私さえ黙っていればいいなら、もう10年もそうしてきたんだし、この先一生同じことを続けることだってできるだろう。
でもやっぱり、「許さない」ことにしている。怒っているとか憎んでいるというよりも、あの日の自分の味方でありたいという理由で。

両親とは仲が良い。よく連絡を取るし、月一くらいでは顔を合わせる。兄も交えて年一では食事会をする。
許さなくたって生きていけるのだ。普通に。

だから、自分の心を守れるほうを選んだらいい。
許す、許さない、なんてことは。

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