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毒親育ちの生きづらさ① #家族について語ろう

こんばんは、おとです。
インパクトのあるタイトルですが、人に話しづらいテーマだけれども自分の背景に大きく影響を及ぼしている、毒親に育てられた経験から生じる生きづらさを連ねてみようと思います。

現在は自身も家庭を持ち、ネガティブな感情をもつことは少なくなりましたが、気持ちが落ちている時はいまだに育てられた環境の呪縛に悩まされることもあります。

これから書くことが、毒親育ちによる影響や背景を自覚せずに自分なんてダメだとか周りとは違うとか卑屈な気持ちになっている方が前に進むため少しでも参考になればなという思いです。

長くなりそうなので数回に分けて。
今回は下記についてお話ししたいと思います。



生い立ちについて

北関東のとある田舎で産まれ、大学入学まで実家で過ごしました。
家族構成はサラリーマンの父、パートタイマーの母、姉、私、妹の5人家族。
両親は高卒で卒業後すぐ産んじゃった婚という、令和の時代でもビックリな馴れ初めです。

世帯年収は600万くらいだったのかなあ?
ただ、隣に住む祖母の持ち家にタダで暮らし、家のローンは無かったため裕福では無いですが貧乏ともいえないような家庭でした。

父は遠方に通勤しており小学校高学年〜高校生まであまり家にいませんでした。世間的には単身赴任という感じでしたが、実態は不倫相手の家で二重生活でした。

私が実親を「毒親」と断定している理由はいくつかあるのですが、、、一番は家族を機能させる責任を果たしていなかったから。悲しいかな、未熟者同士が欲に任せて作った家庭だったので、愛情もなくアダルトチルドレンが子育てしてるおままごと家族といった環境でした。

幼少期の印象的な思い出

生い立ちからすでに不幸感ありありですが、幼少期の印象的な思い出をご紹介します。

  • キチガイ母の発狂、理不尽、暴力

小学生の頃の体験です。

当時登校班という近所の子供で集団登校するシステムで登校していたのですが、自宅は学校までの中継点でもあったため、自宅前から合流する形をとっていました。
小学生の頃から、次の日の準備、忘れ物チェックなどは全て自分でこなし、朝は母親はもちろん寝ているので、姉と起きて夏は暑い中扇風機前で、冬は寒い中ストーブを点けて、一緒に着替えや身支度を行っていました。
朝ごはんも遠足の日などを除くと、基本自分でトーストかコーンフレークを用意して食べるスタイルでした。
これを毎日実行していた自分たちは本当にしっかりしていたなと思うのですが、毎朝ある恐怖に怯えていました。

母の奇声、怒号です。

たまに準備中に母が起きてくると理不尽に早くしろ!など怒号を浴びせられ、さらには近所に響き渡るような奇声を発するという状況でした。
ひどい時には手もあげられ、朝から目を腫らすことも。

そのため、私たち姉妹は母が起きないようになるべく物音を立てずに出発するというのが恒例でした。

登校班のメンバーや近所の方にはしっかり響いていたと思うので、あそこのおたく大丈夫なの?と色眼鏡で見られている自覚がありましたし今なら児童相談所に通報されていたと思います。笑

自分の家庭について周りにバレる羞恥心と他の家庭と比べた時の違和感を覚えたのはこの頃でした。

1つ目のエピソード濃すぎですが、この出来事はその後の人格形成に大きく影響したなと感じています。

  • ファンレター事件

これも小学校高学年頃のお話です。

大前提、うちの両親は(自分たちは低偏差値出身のくせに)成績面以外で子を褒めることがほぼありませんでした。私は幸いにも勉強は人より出来る方だったので褒められることもありましたが、それ以外のことは否定か馬鹿にされるかの日々でした。
特に容姿に関しては姉と比べられものすごく中傷されました。
ブス、死ね、お前はうちの子じゃない、拾ってきたなんて言葉は慣れるくらいに浴びせられていたものの、学校で他の子に容姿を褒められたり異性に好意を持たれたりということもあり、そんな言われてる程じゃないし!と子供ながらになんとか気持ちを保つことが出来ていました。

そんななか、当時私が憧れていたピチレモンという雑誌のモデル宛に書いたファンレターを親に勝手に読まれ、女が好きなの?レズじゃんと馬鹿にされ、家族全員から笑いものにされるという事件が起きました。

今振り返ると笑う要素無いですし、クソ親以外何も言葉が出ないのですが、当時の私にとっては日頃の理不尽な罵倒に耐え必死に保っていた気持ちが、純粋に大事にしていることまで勝手に掘り出され、悪意をもって否定されたことでメンタルが崩壊しました。
もうこんな家で暮らしていくのは無理だと思い、死ぬか警察に相談するかの二択だなと考え(実親の祖父母はもれなく毒親のため一緒になって容姿を馬鹿にするなどの人たちのため頼れず)、警察や公共の福祉に相談して親を悪者にする勇気がなく、とにかくいなくなりたいという気持ちで自宅の屋根から飛び降りました。

ただ、二階建ての家なので無傷で済んでしまい、私自身も心を殺して生きると決め、ファンレターを破り捨て一件を終わらせました。

もちろん親からの謝罪はなく。(32年間生きていて親に謝られた記憶も片手で数える程度です)

この事件をきっかけに、人を信用してはいけない、頼ってはいけないという気持ちが強くなりました。
今の自分が弱みに感じている部分を形成する強烈な体験だったなと思います。

長くなってしまいましたが、次回はこれらの経験が今の自分にどう影響を及ぼしているか、克服するために何を意識しているかについて投稿します。

ただ可哀想という共感をして欲しいわけではなく、こんな環境で育っても前を向いて自分を信じて進めば、明るい道は切り拓けるということを伝えたいです。


自分起因でない理由で悩んでいる方も自分なんてダメだと自信を失っている方も、過去の呪縛から解放されて未来に向かって前向きに生きてほしいですし、私もそうします!一緒に頑張りましょうね。



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