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私の出産体験記②~妊婦生活とソフロロジー出産~



前記事↓からの続きです。



里帰り出産はしないことに決めた私たち。

忙しい毎日の中でも、身体に負担がかからないよう気を付けて生活していた。

定期受診では、赤ちゃんの成長の確認とともに、母体の健康チェック、母乳育児への準備として乳首ケアなどもあった。

毎回個室で、女性の助産師(または看護師)さんが優しく丁寧に問診したりケアしたりしてくださる。この時間が何より安心だったし、不安なことや分からないことを相談しやすかった。癖つよ先生(ごめんなさい)への橋渡しもしてくれた。

ここで顔見知りになっていた助産師さん、看護師さんが、お産や産後のケアにも関わってくれるので、心強い。

数回行われた母親学級では、妊婦生活の過ごし方を学んだり、人形を使ってお産や授乳のデモンストレーションをしたり。他の妊婦さん達とも座談会があったりして、色々な悩みも「ひとりじゃない」と感じることができた。あると便利グッズも色々教えてもらえた。

ソフロロジーのCDはiPodに入れて持ち歩くほど、よく聴いていた。ヒーリングミュージック調のBGMに、ナレーションが入る。妄想を得意とする私には案外好きな感じの内容だった。

下腹部に力を入れながら、細く長く息を吐く練習もしていたのだが、これはなんと排便の時に役立つ。今でも自然とふーーーっとやっている。お尻に優しい、、と思う。切れやすい方は、ぜひ。




妊娠中期あたりから、貧血になったり(鉄剤を処方してもらった)、胎盤の位置が低くて(前置胎盤)出産は大学病院に行かなくちゃかも(泣)などのトラブルはあったが、胎盤もギリギリ規定内に留まってくれ、順調に経過。いよいよ臨月を迎えた。

産休に入ってから、やっと赤ちゃんグッズを揃え始める。予定日より早く産まれることに備え、入院に必要なものは病院に預けていた(緊急でも手ぶらで行ける)。

思えば、この1人目の産休期間が一番自由で、心穏やかに過ごせた日々だった気がする(遠い目)。




予定日より3日前。めちゃくちゃ暑い日。昼間にちょっとだけ出血のようなものがあり、産院に電話。

顔見知りの看護師さんより、
「慌てなくていいけど、多分入院になるから、そのつもりで来てね。」
と言われる。

ーーいよいよかもしれない。

母と夫に連絡。
自宅を簡単に片付け、タクシーを呼ぶ。

産院はタクシーでわずか5分ほどの距離。

「慌てなくていいけど」の看護師さんの言葉に、本当に慌てない当時の私。産院に行く途中、レンタルショップに立ち寄り、CDを返した。今考えても、え、と思う。タクシーの運転手さんも、まさか今からお産に行く妊婦だとは思わなかっただろう。




出血は、ほんの少し卵膜(赤ちゃんと羊水を包み込む袋)が破れて、そこからのものだろうとのこと。一気に破れたら破水だが、まだそこまでは至らないと。

入院して様子をみることになった。

でも、半日経っても、なかなか起こらない陣痛。まだ赤ちゃんが出てきたいタイミングではないようだ。

このまま陣痛が来なければ、破れた箇所から赤ちゃんへの細菌感染も考えられるとのことで、陣痛促進剤(点滴)を投与することになった。


その頃、母が病室に到着してくれた。遠いところ(片道2時間)、ありがとう。

自然分娩の場合、何がきついって、やっぱり陣痛なのだ。実は2人目も促進剤を使ったので、本来の陣痛を経験していない私。痛みの間隔や強さにどれくらいの違いがあるのかは分からないが、促進剤を使い始めると、徐々に、でも確実に強まる陣痛。

もう、本当に辛い。腰を中心に痛い。定期的に波がくる。

とはいえ、具体的な痛さは忘れてしまったのだが、覚えているイメージを擬音語で表現すると、「どよ~ん」<「ずーん」<<「どーん」みたいな感じかと(分かりにくい)。

正午くらいに促進剤を入れ始め、その時は普通にご飯も食べていた。夏休みで再放送されていた『マルモのおきて』を観ながら、やっぱり愛菜ちゃん&福くん可愛いなあなんて呑気にしていた。

その後、甲子園を見ていたのだが、だんだん痛みが増してきて、試合の内容が頭に入って来ないし、ブラスバンドの応援の音がガチャガチャ騒音に聞こえてたので(ごめんなさい)、テレビは止めた。

そうだ。こんな時こそソフロロジーなのだ。イメトレの威力を、今こそ!!

CDを聞き始め、目を閉じる。頭の中に浮かび上がるお花畑や海。寄せては返す波のようにやって来る陣痛。


ひーっ!やっぱり痛いものは痛い。


でも、細く長く息を吐き、なるべく脱力することで、確かに少し痛みが和らいだ気はした。ほんの少し。



午後6時。
だんだん痛みの波の間隔が狭まってきたとのことで、分娩用のパジャマに着替え、分娩室へ移動。痛くないタイミングで、普通に歩いて行けたと思う。

モニターを付け、いよいよ分娩台に乗る。ドラマでよく見るシーン。

それから子宮口が10cm開くまで、ひたすら陣痛に耐える。分娩室でもソフロロジーのCDが流れていて、空気は穏やかだ。

午後7時。
仕事を早めに切り上げた夫が到着。

私の頭側から付き添うように指示された。誕生後(瞬間は撮らないよう私が希望)を収めるためにビデオの準備をしている。

ただ、ここから約2時間、はっきり言って夫の出番はない。

腰をさすったり、手を握ったり、という方もいるらしいが、私より体温の高い夫の手が腕に触れた瞬間、「熱っ。止めて!」と拒否。

ごめん、夫よ。でも、ほんとに今はそれどころではないのだ。

特に気にしない様子の夫は、適当に私を励ましながら、モニターで陣痛の波を見ていた。




そんなこんなで時は流れ、ついに大きな大きな波が来た。

「ずどどどーん!!」

ーーいやいや、もうこれ以上はないっしょ。

超ベテラン助産師さんの女神様のような声掛けで、息を吐いたり力を入れたりしながら、ひたすら耐えた記憶。

午後9時。
先生、ご登場。

赤ちゃんが出てきた瞬間は、多分意識がぼんやりしていて、あまり覚えていない。

「にゅるっ」とか、「ぬるっ」だったと思う。陣痛の痛みに比べたら、全く痛くないレベル。

最後の最後は意外とあっけなかった。その瞬間は感動とかじゃなくて、完全に安堵。

ーーはあ~、やっと痛みから解放される。。

先生「おめでとうございます。立派な女の子ですね~。」とか言ってたかな(適当)。


薄い記憶の中で、癖つよ先生がめちゃくちゃ笑顔だったことは鮮明に覚えている。助産師さんの神々しい微笑みも(天国に来たかと思った)。

その前後で、娘は「フンギャ~!」と産声を上げたんだと思う、多分。

へその緒を切り、帽子を被せられた娘が私の胸にやって来た(カンガルーケア)。

その瞬間、やっと実感した。安心して、うれしくて、涙が出た。

ーーよくがんばったね、娘よ。そして、私。

夫は終始静かに応援し、産まれてからはばっちりビデオを撮ってくれていたと思う。あまり見返したことはないが、貴重な記録であることは間違いない。お疲れ様。



分娩室に入ってからは約3時間での出産だったので、安産だったんだと思う。

結論。ソフロロジー出産は良かった。

その後、私の脳内に「うまくいったな」という安易なイメージがインプットされた。なんと幸せな脳なんだ。


4年半後。
息子も同じ産院で同じように産んだはずだが、その頃はソフロロジーのCDを聴く余裕もなく(言い訳)、どこか出産を甘く見ていた自分がいた(コラ)。

それで、ややパニック状態に陥り、本当に気を失う一歩手前での出産となる。


やはり、お産に「同じ」はない。その時の年齢、体力や状況で本当に全然違う。何度目だろうと、ナメたらあかんやつ。

そして、ソフロロジー出産をするならば、真面目にCDを聴いてイメトレするべし。「昔取った杵柄」は通用しない。ここ重要。


そして、どんな出産方法であれ、赤ちゃんと母体の安全第一。これが何より重要。


何はともあれ。
2人の子ども達よ。
無事に産まれてくれてありがとう。
いつ振り返っても、それは変わらないし、忘れたことはない。

この世に、パパとママの元にやって来てくれて、本当にありがとう。

そして、大変な思いをして産んだんだよ、君たちも頑張って産まれてきたんだよ、ということをどうか忘れないでおくれ。




つづく。


***

最後までお読みいただきありがとうございました♩


次回、カンガルーケアと母乳育児について書いてみようと思います。




***2023/10/9追記***

ありがとうございます!

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