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わたしの声

わたしには、コンプレックスと呼ばれるものがいくつもあります。

そのうちのひとつが、この声でした。
今ここには書かないけれど、コンプレックスの原因となった出来事にはいくつか思い当たる節があります。
今思い出しても「そら、傷つくわ」と思います。
なので、傷ついたその時のわたしの心や、持ち続けてきたコンプレックスを否定するつもりはありません。

ただ今日ここに「わたしの声」というタイトルで、文章を書こうと思った理由は、大人になったいま、わたしはわたしのこの声のことを、愛せているからです。至って深く、愛していると思います。

こうなれた理由にも、やはり思い当たる節があって。
それは、大好きな人たちがわたしの声に対して好意を伝えてくれたこと。

例えばだいすきな上司の一言。
「あなたが電話に出てくれると、その優しい声が聞けるからなんだか良いわね」
友人の一言。
「柔らかいから、わたしは好きだけどね」
恋人の一言。
「なんで?可愛いじゃん」

わたしが嫌っているかどうかに関係なく、「なんか良いよ」と伝えてくれる人がいること。その事実ごと愛していたら、いつの間にかこの声のことも愛せるようになりました。

コンプレックスのことを愛さなくても良いと思っていることも、ここに記しておくね。事実全く愛せないコンプレックスをまだいくつも抱き抱えながら生きているところなので。

ただ、いつかのわたしにナイフを振りかざした人たちよりも、その生々しい傷口を優しく拭ってくれたり、ナイフをそっと抜いて止血してくれたり、穴が開いたままの肌に不器用に絆創膏を貼ってくれたりする人たちのことを覚えていたいと思いました。


そしてわたしも、命をかけて誰かに愛を伝え続けよう。

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