子供がいない夫婦は可哀想なのか?
女性が結婚すると、必ずと言っていいほど聞かれる質問がある。
「子供はどうするの?」
この質問は一部の女性にとって、胸がエグられるような、辱しめを受けるような、セクハラをされているような、焦らされているような、市民権を得られないような、世間の常識を押し付けられているような・・・とにかく、文字数の少なさの割には殺傷能力が高く、複雑な想いを体中グルグル駆け巡らせ、壮大なプレッシャーを感じさせている言葉なんだと知ってほしい。
家庭には、それぞれのデリケートな事情がある。
子作りに前向きな女性もいれば、苦労を経て不妊治療を受けている女性もいる。はたまた「いつか授かりたいけど今じゃない」ってタイミングもあるし、人様に対して声に出して言いたくない事情を抱えているケースだってあるのだ。
子作りに関して質問されて、窮屈な想いをした経験のある女性の気持ちを代弁すると「そっとしとけ、クソ野郎」。
そこまで信頼関係を築いている訳じゃないのに「子供は?」とウカツに質問した経験があるのならば、その無神経さを自覚して頂きたい。
・・・と、冒頭から喧嘩腰で語った私本人は、既婚・子なし・33歳。
今まで、両手だけでは数えられないほど「子供は?」系の質問を受けた。
「うち、子供は産まないんです。」の一言で、爽快なほどに会話が完結していた。ほとんどの場合、相手はそれ以上何も聞いて来ない。いや、何も言えないのかもしれない。だけど、ネット上でそれを発信するようになってから、“余計なお世話”な人と、信じられないほど多く遭遇している。
”子なし”であることを窮屈に感じている女性たちが、少しでもホッとしてくれたらとても嬉しい、という想いでこのnoteを書く。
DINKSという生き方を選んだ
私は、DINKS(ディンクス)という生き方を選んだ。
DINKSとは、Double Income No Kids(共働き・子供なし)の頭文字を並べたもの。子供を意識的に作らない、持たない夫婦を指す。(※結婚したばかりで子供がいない夫婦、何らかの事情で子供を持てない夫婦は含まれない。)
夫にプロポーズされたとき「子供は産まない」という条件のもと、結婚している。
私自身が子供の頃から、DINKSという生き方を選んだ理由は単純で、複雑な家庭で育ったせいか”親子の絆”というものを、全く信頼していない。「家族」と「暖かさ」が結びつくような記憶が不足している。
子供が嫌いなわけじゃない。むしろ、すごく尊い存在だと思う。
血の繋がる家族とは、良いご縁がなかった。その反面、血の繋がらない方々に私は支えられて、今日まで生き抜いて来れた、という感謝がある。だから、家族に血の繋がりは関係ないんだという価値観がある。
「じゃあ、子供を産まないのになんで結婚したの?」と質問されれば「プロポーズを断る理由がなかった。あとは、最後の恋愛にしたいと思ったから。」と答える。以上。
子供を持たない夫婦たち
私と同じDINKSの友人は、田舎に帰るたび「いつ子供産むの?!」と地元のおばちゃんたちに煽られるらしい。「話しても聞く耳を持たないから、いつも『ソウデスネ〜』って適当に受け流してる。」と伏し目がちに語っていた。
「子供は産まないで生きていきます」なんて言い続けていれば、批判してくる人も現れる。特に、昭和の時代を長く生きた方々にとって「女性は子供を産むもの」という文化が深く根付いている。
私も、さほど面識のないおじさんに「子供がいる人生の方が素晴らしい!まだ将来は分からないよ!産んでほしい!」と、小一時間ほど熱弁されたことがある。たしかにそんな時は『ソウデスネ〜』としか言いようがなかった。地獄だ。
別に私は、子供がいる人生を否定してる訳じゃない。「子供を産まない選択が最善だ!」とも言ってないし、この考えを誰にも押し付けてない。
だから「あなたも私の人生を否定しないでよ」と、心の中でしか言えなかった。
他人にでさえ、こうやって自分の価値観を押し付けるのだから、自分の子供にもそうしてるのかな、と思うとゾッとする。
夫と決めた、夫婦の人生設計
まだまだ理解されないことも多いけど、どう意見されても私は凹まないし、屈さない自信がある。
自分の家庭の事情は、自分と夫とで話し合って決めることだからだ。
ただ、私たち夫婦にとって一番の幸せを実践して生きる。私たちの幸せを他人からあーだこーだ言われる権利はない。
「子供がいないと老後が寂しいから、可哀想」という声もある。
え?自分の老後が寂しくないように、子供を産む?ですって??
一体、子供の人生を何だと思っているんだろう?もし自分が子供だとして、親に「あなたは、私の老後の面倒を見てもらうために生んだのよ♪」って言われたら、まじで地獄なんだが。
もし、子供の仕事が忙しくてなかなか会えなかったら?遠く離れた土地に住むことになったら?
子供がいても寂しくなる人は、絶対寂しい。とにかく、老後が寂しいか寂しくなくなるかは、自分次第だ。「将来自分が孤独にならないように子供を産んでおく」という考えは、私にはない。
「子供を産まないと人生もったいない」ともよく言われる。じゃあ私が、「子供を産んで人生もったいない」と言ったら、それはそれはヒドイでしょう!平気で同じことしているのに、気づかない。
そんなヒドイこと、私は絶対に言わないし、思ってすらない。人の人生が「もったいない」なんて。失礼すぎるでしょ?
「あなたには両親がいなくても、あなたのご主人のご両親が可哀想」と言ってくる人もいる。
あの〜。子供の誕生をエンターテインメントか何かだと思ってます?自分のためではなく、人をエンターテインために、出産した方がいいってことですか?「ご両親が悲しむ」の前に「本人が悲しい」んですけど。
子供を産まない代わりに、やりたいこと
日本には、世界には、両親がいない子供、酷い虐待や、無責任な親の育児放棄によって、孤独に生きている子供たちがたくさんいる。
血の繋がりを信じていない私は、自分自身が産んだ子供を“子供“とするのではなく、子供たちを“子供”と呼べる人になりたい。
人生にはリミットがある。また、若い時期にもリミットがある。だから、自分が妊娠・出産・子育てを経験しない時間を使って、ボランティアでそういう子供たちに何かしてあげられる人になるために、今は準備している。
それを仕事にしたいとは思っていない。絶対にボランティアでやりたい。
ボランティアをしたいその背景には、シングルマザーの母が生きていた頃、私は母よりも、習い事(ダンスや歌)の先生たちと一緒に過ごす時間の方が多かった、というのがある。
思春期の悩み、将来の不安。母に相談しても聞いてもらえなかったことを、先生たちに話していた。それがあったから、青春時代をどうにか生き抜いてこれた。
だけど、毎月先生には高いお月謝を払っている。もしこの支払いがなくなったら、もう会えなくなるんだろうな、と頭をよぎったことがある。
その日、歌の先生に渡す月謝袋を持ってくるのを忘れてしまって、すごく怒られて、門前払いになったことがあった。私が悪いのだけど、目黒駅から小川駅(小平市)まで、トンボ返りでトボトボ帰っていったのを覚えている。
中学生ながらに、大人は「お金の切れ目が縁の切れ目なんだな」と知った。
だから私は子供たちに、お金の繋がりはなくても、愛情を与えてくれる大人もこの世には存在しているということを伝えたい。
子供を産まない代わりに持つ、この夢に関して「違和感がある」「矛盾している」「意味がわからない」「ただ自分勝手に産みたくないだけのくせに言い訳がましい」と言ってくる人がいる。
その「あなたは何かおかしい」と言ってくる人たちは、果たして、もし私が子供を産み育てていて、子育てで活動に支障をきたしそうなことがあった場合、すぐさま駆けつけてサポートしてくれるのか?
してくれない。
してくれるんだったら話は別だけど、絶対にしてくれない。
そんなの、無責任な発言だ。「なんかおかしい」って言いたいだけなんだろうけど、言ったところで、何が産まれるのだろう?
目の前の人間である私本人、そして、多くの子供を持たない女性たちを傷つける言葉だ。
そう考えると、本当にただの無責任。かつ、侮辱する行為。誹謗中傷でしかない。
「児童養護施設の子供に夢を見させてしまったらその思い出のあと絶望するからやめた方がいい」と言った人がいる。
あなたは児童養護施設で育った子供でしたか?児童養護施設の職員でしたか?ご本人の口からその意見があるなら納得します。
私はどちらも当人とお話したことがありましたが、その方々は、とても賛成していらっしゃいました。
「子供も産んだ上でNPOとかやってる人もいるから、産まないって言ってるのはただ自分が好き勝手やりたいだけの言い訳だ」と言った人がいる。
あなたもその子育てしながらボランティアされているご本人ですか?ご本人が私の生き方を否定をしてるのですか?それならば納得します。そういう風に軽々しく否定してくる人に限って、真の「子育ての大変さ」を分かってないんだろうな〜って感じる。一生懸命で子育てと仕事を両立させている多忙なママが、そんな無神経なことを言うイメージは全く湧かないもの。真の子育ての大変さを知っている方こそ、「そういう生き方もあるよね」と流してくれる印象だ。
この話をしてもなお押し付ける人がいる
それでも「子供は産んだ方がいい」と言ってくる化石のような人がいる。
それを言ってる男性に聞きたい。「もし男性も女性と同じように妊娠できるとしたら、あなたは産みますか?」
今頭に「仕事はどうする」「出世は出来るのか」と思い浮かんだのなら、そういうこと。
女性は産める体でも、産む・産まないを決める権利があり、女性に「産め」という資格はない。
それから、私が産まない理由を丁寧に話したのにも関わらず、それでも「自分の子供を」という価値観を押し付けるモンスターがいる。
その言葉は、不妊治療で戦っている女性、再婚などで事情があって血の繋がらない子供を立派に育てている女性をも否定することになると、お忘れなく。
ご自身の主張が、多くの女性を傷つけていることに気づきませんか?多様化する世界をそろそろ認めないと、今後生きづらいですよ。
様々な状況で、それぞれ戦っている。その姿って、本当に美しいと思うんです。
「それでも自分の子供がおすすめ」という言葉は、そういう女性たちの生き方も踏むにじることになる。
だから「自分で産んで」と押し付けてくる人が傷つけている女性たちの想いを考えると、すごく胸が苦しくなる。
そういう人の「産んでほしい理由」がまた、ものすごく呆れる。
「子育てでしか得られない苦労を味わってほしい」「子育てでしか得られない成長を体験してほしい」
私からして見れば、「いい歳して、他人に自分の価値観を押し付ける思いやりのなさ、心の狭さ、想像力の乏しさ。素晴らしい人間性ですね。へぇ〜、子育てによって成長した結果ってこれですか〜?」って感じ。
自分のお腹を痛めて産んで、育てたことによって、得られるものがたくさんあるのは分かってますよ。お友達からも聞いてます。感動してます。涙も出るほどです。でも、私にとってはそれで十分です。
というか、子育てによる「苦労」をパスして得たいものがあるから、私はそういう道を選んでるんですよ。子育てによる「成長」をスッ飛ばしてでも得たい「成長」があるから、わざわざ宣言してるんですよ。脳みそタピオカですか?
他にとんでもない反対理由として「動物・生命体としての生き方に反する」っていう人も現れた。
ああ、そう。(笑)
そんなに動物の本能とか言ってるんだったら、今すぐ全ての電化製品を捨てて、ジャングルか無人島で一生サバイバル生活してください。それだったら私も納得しますけど。
私に憧れてDINKSになる人がいる?
YouTubeで「私がDINKSの理由」を話したら、こういうコメントも寄せられた。
「えりさんに憧れてDINKSになる人がいたらどうするんですか。そんなの悲しすぎます。」
・・・これを書いたあなたは、女性ですか?きっと、違うでしょう。
「人に憧れて子供を持たない」という風に考える女性が極端に増えることはないと断言できる。
産みたいか、産みたくないかは、その女性自身から芽生える価値観によって変わるものだ。
私が言いたいのは、人にどうこう言われたからと言って、産む・産まないを決定することではなく、本人が「どうしたいか」というのを大切にしてあげてほしいということ。
私と同じように既に「産まない」と決めているのにも関わらず、攻撃的な言葉を浴びせられている肩身の狭い女性たちから「ホッとした」という声を多く頂いている。女性たちの、その安心のために発信している。
そして、多様なライフスタイルを認め合える世の中になってほしくて発信している。
まだまだ知られてない、女性の生き方
どんな状況でも、ずっと、女性は質問され続ける。
「彼氏つくらないの?」
「結婚しないの?」
「子供はどうするの?」
「2人目は?」
「女の子は?」
それは、ただ会話を続けるための質問だったのかもしれない。でも、そうやって女性にプレッシャーを与えないで。聞こうとする前に、「その女性との信頼関係はどれほどのものだっけ?」ということを一度考えてほしい。
多様な生き方がある、という事実を受け入れる人が増えるほど、生きやすくなる人も増える。
”DINKS“という夫婦の生き方が広く認知されるまで、私はこの先「子供は?」と質問されたとしても、心に波風立てることないように「産まないです。」と答え続ける。
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