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対極に存在する者

とある少女に出会った。「わたし」たちはこの地球上ありえない確率と場所で遭遇した。彼女が生まれてちょうど地球が太陽のまわりを大きく一周したとき、約10000km離れたここ日本で、「わたし」はこの世に産声を上げた。ここで出会ったのは運命的で途方もない計算である。彼女は大きな目と口を持ち、太陽のように笑い、信じられないほど綺麗で真っ直ぐな瞳で何もかもを見通す。いや、見透すと言った方が正確かもしれない。彼女の光はあまりにも強いのでほぼ100%、だれもこの神々しさの前で嘘をつくことはできない。試みたところでバレるのは時間の問題だ。

そんな彼女の周りには、知ってか知らでかこれまた様々なタイプの陰を持ったひとが寄ってきた。そりゃそうだ、地球というのはそういう風に出来ている。パワーバランスが保たれるようになっているのだ。質量は保存されエネルギーも保存される。そんな世界で、トータルで中庸に向かって動いている。「わたし」はといえば、もちろん太陽ではない、自惚れながらも言うなれば月であろうか。ぼんやりそう思っていたら、彼女からなにかの拍子にふっと”you are kinda like the moon”と言われたのだから驚いた。彼女は太陽でわたしは月。自ら輝く太陽の光を受けて反射している、光っている。確認することができる。特別はしゃいだりもなければ泣き叫んだりということもない。常に一定の温度と湿度を保ち、まるで空気清浄機のように、何か異物を取り込んでその場をならすことにかろうじて長けているような人間である。淡々と仕事をこなす。彼女のようなハイパワーさはないが、ただひたすら静かにまわる。勿論ゴミを吸い込む訳であるから、一人でいるときには清浄機を清浄する必要がある。フィルター交換のようなものだ。定期的なメンテナンス。ゴミの捨てかたですら彼女とは違う。誰かにありのままを話すのか、寝かせて何かに変えてからお披露目するのか。どちらがいいというわけではなく、エネルギーの使い方の違いであるだけにすぎないのだと。太陽タイプの人間は、ポジティブから生み出されたゼロからプラスへの作用のあるエネルギッシュなものを生み出す。これはマイナスからゼロまでの言うなら'浄化'に特化した月にはできないこと。お互い一長一短なのだ。

さて、この彼女、先にも述べた通り、ひとが怯んだ瞬間を全く見逃さないのだ。これを勝手に「嘘発見器」と呼んでいる。本人にネガティブな意図はない。見つかってしまうのだ。「わたし」のような人間が、自らのエゴによってゴミを片付け綺麗にしていたとしても、その「エゴ」さえも完璧に光のものへ引きずりだして神秘的なベールで包みその"穢れ"をいとも簡単に剥がしてしまう。なんのことでもない、とその大きな緑の目は言っている。「そうか。」なんともないのかもしれない。結局、大丈夫じゃないことなんてないのよ、と言いたげに。「わたし」が今までの人生をかけて守っていたその”なにか”は彼女にとってはその辺の虫ケラ以下なのかもしれない。一瞬シュっとするけれど、すぐに命共々消えてしまう、殺虫剤みたいなものなのか。音ともに現在は光のごとく過去へ放り去られる。それは一見ひどく刹那的で無慈悲なように感じられるが、ともするとこれ以上になく現実的で合理的、かつ各個人に対する愛の意識が高い思考であるのかもしれない。そこにわたしは畏怖の念を感じずにはいられないのだ。



どうも〜