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2/12/24(月) この場所で

 初三。今日も晴れてとても爽やか。今週は29度まで気温上昇の予報。

 春節にまつわるカハツのしきたりいろいろが面白い。あらゆるメディアで、あれをしろ、これをするな、と子どもから大人までみんなに呼びかけている。新年3日目の初三である今日、守るべきは、自然醒、睡到飽、自然に目が覚めるまで好きなだけ寝ること、ただし、年始まわり、セックス、白米食べすぎはNG。掃除が必要な場合、外から内へ掃く。お正月の家の中の財氣を漏らさずに、外の財氣を取り入れる。

 しきたりの大半は、財運に関するものだ。この国のマジョリティである彼らカハツが移民であることを考えると、移民前の中国大陸での生活は豊かなものではなかったのだろうし、なんとか命からがらやってきたこの台湾という島で生き抜いていくために、神頼み、験担ぎ、金儲け、家族一丸で死に物狂いでやり続けるしかないのだろう。そのやり方を子々孫々と伝えていくことが必要なんだろう。母とよく話す。私たちタイヤルは、住むところや食べるものに困ったら、山に帰ればいい。原住民は海へでも山へでも、この大地の中に歩いて帰れるところがある。でもカハツたちには帰るところがない。 

大安森林公園の桜が咲き始めた。何て品種だろ。
春節、おばちゃんたちの装いも赤とピンクが多い。


 カハツに対して、複雑な感情がずっとある。子どもの頃から、カハツに騙された、カハツに差別された、カハツのところに嫁に行くとひどいいじめに遭う、そんな話ばかり聞いてきた。台湾でも日本でも他の国でも、いろんなカハツと知り合う機会があるが、その中で、この人たちはすぐに信用してはいけない、という気持ちがふわっと浮かんでくる瞬間がある。社会は変わってきているのだし、これからの時代、まだそんなことを気にしているのか、もっと心を開いて、心をやわらかくして、と思う一方、まあそりゃ仕方ないよ、いろいろあったし、とも思う。どの感情もプロセスに過ぎないのだから、とゆっくり眺めながら待っている自分もいる。でも、誰かに接するたび、原住民であり、更に日本人でもある私のことを、この人は一体どのように見ているのだろう、と、にこにこしつつも身構え、相手の様子を伺う態度は、いつも私のどこかにうっすら存在している。カハツに対してだけでなく、長年こんな感じで人に接してるうちに、この態度がいつの間にか私のデフォルトの態度になってしまったような気もする。

 マオリの若者との旅の1日目、私はにこにこしつつ、やはり心のどこかでふんわりと身構え、様子を伺っている自分の姿を見た。マオリの若者たちに対してではない。そこに引率として来ているカハツたちに、だ。すごく細かいことを言うと、そもそもこの旅に私を連れて来てくれた Wasiq に対しても、いくらタイヤルと言ったって、おばあちゃんがタイヤル、クオーターでしょう、という気持ちが腹の底になくはなかった。自分もハーフなのに。でも母なら必ず言うのだ。1/4ならほとんどカハツじゃない、と。

 やっぱりカハツの血が入っていると違うね、あれはほとんどカハツだから、と言うのが純粋なほめ言葉になることは、私の家族の間ではほとんどない。家族の会話でそういう言葉が出てくる時、お金儲けが上手、ビジネスの才能がある、やり手、よく言えばみんなそういう意味で言っている。でもその言葉の奥には、カハツは狡賢い、本当のタイヤルはずるいことはしない、という狡さへの蔑みとせめてもの自尊心が絡み合っており、そしてそのもっと奥に、タイヤルは金を稼ぐことができない、タイヤルは今の社会でろくな暮らしができないんだ、という自虐、諦めが、巨大な倒木のように横たわっている。

 そろそろ夜ごはんの時間なので結論から言うと、今回の旅の1日目、私のカハツに対する感情は、すごく変わった。開眼した。それは私にとって、台湾で暮らす上での気持ちが全く変わったということだ。旅の最中も、旅から戻ってからも、なんと自分にとって大事な5日間だったんだろうと思い続けている。くるりと境界線を描いたみたいなこの台湾という島の上で、まるで地面に描いた円の中で丸くなった猫みたいに、とても安心している。

 母が「吃飯了」と呼んでいるので、ごはん食べてきます。なかなか旅の話にたどりつかないけど、続きはまた明日。水餃の匂いがする。


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