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ラベンダーの夏(短編小説)

 ラベンダーが揺れる。人が来る。また、ラベンダーが揺れる。人が来る。
 ここは、雑貨屋だ。毎日いろいろな人が来ては、何かを買って出て行く。僕はここの店員。誰が何を買って行ったかなどには興味はないけれど、一つだけ、今でも不思議に思うことがある。

 あれは確か、今日みたいな日差しの強い、夏の午後。
 麦藁帽子をかぶった、白いワンピース姿の女の子が、店に来た。歳は十二、三歳くらいか。その子はまっすぐ僕の居るカウンターに来て、言った。
「ラベンダーを一束、もらえますか」
「ポプリで良いですか」
「はい」
 女の子は、僕がラベンダーを探している間中、一歩もそこを動かなかった。店内のほかの品物なんて、眼中にないようだ。
 僕がラベンダーのポプリを一束持ってそれを束ねていると、女の子は話しかけてきた。
「今は丁度お盆休みで、花屋さんが閉まっていたんです。ここなら売っていると聞いたので、来たんです」
「そうですか。……誰に聞いたんですか」
 僕が聞くと、女の子は黙って指をぐるぐると回し始めた。答えるつもりはないらしい。
「できましたよ。初来店なので、料金はサービスです」
「ありがとう」
 女の子はそう言って、照れたように笑うと、またすぐに店を出て行ってしまった。
 店内は、途端に静かになった。

 その次の週も、女の子はやって来た。目当ては、またラベンダーのようだった。
「いらっしゃいませ」
「ラベンダーを一束もらえますか」
「ポプリですか」
「はい」
 前の時とそっくり同じ会話が交わされる。ラベンダーを受け取ると、女の子はまた、さっさと店を出て行ってしまった。料金を受け取っていないことに気がついたのは、しばらく後になってからだ。
 それにしても、ラベンダーのポプリなんて、何に使うんだろう?
 疑問に思ったけれど、一週間も経てば、そんなこと、忘れてしまっていた。
 でも、翌週、また女の子はやって来た。その次の週も、また次の週も。

 三週目、僕は女の子に聞いてみた。
「どうして、こんなにラベンダーのポプリばかり買っていかれるんですか」
 女の子は、少し驚いたように、回していた指を止めた。
「ええっと……、ラベンダーティーを入れるんです。それに……」
「……それに?」
「ラベンダーティーは、染めるのにも良いんです。いろいろなモノを、染めることができるんです。それで、私は全身を染めているんです、ラベンダーで」
「……全身を?」
「ええ。ラベンダーで体を染めると、すごく飛べるようになるんです。とても、良いんですよ」
「そう……なんですか」
「はい」
 女の子は、また照れたように微笑んで、店を出て行ってしまった。後には、疑問ばかり抱え込んだ僕だけが、残された。

 その翌週、女の子はラベンダーのポプリを抱えて、にっこり笑って言った。
「いつも、有難う御座いました。今日で私、この町ともお別れです」
「そうですか。夏休みも、もうすぐ終わりですものね……」
 女の子は少しきょとんとして、その大きな目で僕を見上げた。
 深い、紫色――ラベンダー色の、大きな目。
「それで、お願いがあるんです」
「なんですか?」
 女の子は、少し緊張するように、また落ち着きなく指を回し始めた。
「私、来年もここに来たいんですけど……、あの」
「はい?」
「ラベンダーを、……この店の前に、ラベンダーを……飾ってくれませんか?」
「店の前に? 良いですけど……」
 僕が肯くと、女の子はほっとしたように指を止め、微笑んだ。
「きっと、来年もきますね」
「どうぞご来店ください。待ってますよ」
 女の子は嬉しそうに、店を出て行った。そして、次の週からはもう、彼女の姿を見ることはなかった。

 その年の夏の終わり、店を閉めて、町の噴水の傍を歩いていた僕は、一羽の鳥を見かけた。その鳥は、噴水の石に留まって僕をじっと見ていた。
 深い紫色をした鳥で、目はもっと深く、濃いラベンダー色だった。それは、あの女の子の瞳と、同じ色をしていた。
 鳥は、しばらく僕の頭上を旋回した後、少しだけ遠巻きに僕を見て、一声鳴いた。その声は、甲高くもなく低すぎもなく、美しく町の広場に響いた。そしていつの間にか、一番星の現れとともに、いなくなっていた。
 それから一年が過ぎ、僕は店の前にラベンダーを飾った。美しい流線型の、針金で造られた小さな入れ物に、数本立てかけて置く。
 でも、その年の夏、女の子は来なかった。一度も。
 けれど、女の子の代わりに、白い鳥が、店に入ってくるようになった。ラベンダーの香りのようにさりげなく、それでいて存在感はある……そんな感じだ。
 その鳥は、ラベンダーティーを入れる僕を、じっと見つめていた。白いワンピース……あの女の子が着ていたワンピースのような白い鳥で、目は深く濃いラベンダー色だった。あの女の子と、同じ目だった。
 僕が自分の分と鳥の分のラベンダーティーを入れると、白い鳥はとことことやって来る。そして、自分の分のラベンダーティーの器の中に、ゆっくり身を浸すのだった。
 それはまるで、女の子の言っていた、『全身を染める』作業にそっくりだった。
 十分に温まると、鳥は、はにかむように首を少し傾けて、大きなラベンダー色の目で僕を見上げ、飛んでいくのだった。
 毎週やって来る鳥は、段々と白から紫へと色が変化していった。そして、その年の夏も終わるという頃には、去年見た紫色の鳥と同じ姿になっていた。

『彼女』はまた、噴水のところで僕を待っていた。そしてまた、飛んで行った。

 さて、あの子は今年も来るだろうか。
 店の前に飾られたラベンダーが揺れるたび、僕はあの鳥のことを思い出す。
 今年はまだ、鳥は来ない。
 僕の夏はまだ、始まらない。
 ラベンダーが揺れる。人が来る。
 またラベンダーが揺れる。人が行く――。


《随分昔に書いた短編です。ちょっと手直ししました。しかし、ポプリじゃお茶は淹れられませんよね……少女は飲むつもりで作ってはいないので、それでも良かったのかもしれません。私はラベンダーの香りが好きで、よくお香を焚いたりエッセンシャルオイルを使ったりします。入浴剤やハンドクリームもラベンダーばかりです。また富良野に行きたいです……。》

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