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アジサイ(誕生花ss)

 男は職場の駐車場で一人、たそがれていた。空は気持ちの良い晴れ具合で、夏の太陽が容赦なく地面に照りつける。男の手の中で、冷えていたペットボトルがどんどんと温くなっていく。
「あ、いたいた。警部、こんなとこにいたんですか」
 快活な声と共に、彼の部下である若者が駆け寄って来た。
「せっかく世間を騒がせていた大怪盗を逮捕したというのに、どうしてそんな所でたそがれてるんです」
「……あいつは本当に捕まったんだよな」
「何言ってるんです。警部がその手で捕まえたんじゃないですか」
 部下は肩をすくめ、警部の隣で柱に寄り掛かった。警部は自分の手を、暫く無言のまま見つめた。
「あいつは変装の達人で、古今東西の武術に通じ、頭も切れるやつだった……私は十年も追いかけたんだ。それが、なぜあんなにアッサリと」
「さあ……」
 部下は呆れたように警部を見つめる。
「何か警察から盗みたいものでもあるんじゃないですか」
「あいつが警察から……? 何を」
「さあ……俺には分かりませんけど……例えば、十年にわたって自分のことを追いかけてきた人間と、サシで話せる時間、とか」
 警部は目を丸くして、部下を見つめた。
「そんなことがあると思うか」
「だから分からないって言ってるじゃないですか」
 その時、署の方から多数の警官が慌てふためいて出て来た。
「おい、どうした!」
「怪盗が逃げました!」
 警部は一瞬、確かに口角を上げた。しかしすぐに顔を引き締め、勢いよく走り出した。部下もその後に続く……ように見えたが、逆方向へ走り、一瞬後には別人の姿に変じていた。
 変装の達人である彼は、望みのものを手に入れて満足そうに、陽炎の中に消えて行った。


《今日のお花はアジサイです。色が変わることから七変化とも呼ばれるというところから発想しました。また、誕生花ssを書くために見ていた、植物の写真投稿アプリの「今日の花」というのが、必ずしも誕生花を指すわけではないことが判明しました……ので、明日からはそのアプリを使わずに調べて書こうと思います。》

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