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クレオメ(誕生花ss)

 女子寮が寝静まるころ、私の秘密の楽しみが始まる。こっそりとベッドを抜け出して上着を羽織り、忍び足で庭へ出る。校舎へ続くのとは反対の道を選んで針葉樹林を少し行くと、ガラスの温室に辿り着く。
 昼間は可愛らしい色合いの花が咲き、華やかな温室も、夜にはしんと落ち着いている。しかし、そっと中へ入ると、月の光がひらひらと乱舞しているのが目に飛び込んでくる。
 否、これは月の光ではない。蝶だ。
 翅を白く輝かせながら舞う蝶が数十羽、夜に開く花々の下に集まっている。甘い香りに包まれて、まるで夢のような光景だ。
「やあ、今夜も来たね」
 まるで自身も蝶のような密やかさで、その人が現れる。色素の薄い髪と肌、目だけが青く輝くような、美しい人。生徒ではない。この温室の管理人だ。
「君が来るから、最近では温室中がそわそわしてる……みんな喜んでいるんだよ。夜は私以外に見てもらえないものだから」
 植物のことを友人のように語る、その声は歌声のようで、花も蝶も、その響きに心躍らせているのが分かる。かく言う私もその一人で、ある晩、誘われるようにここを訪れてからは、毎晩のように通っているのだった。
 白い椅子に座って、私たちは十二時までお喋りする。他愛ない話だ。私が昼間、学校で起きたことを話しては、管理人さんが楽しげに笑う。その周りを白い輝きが彩り、これは本当に夢なのではないだろうかと、怖くさえなってくる。
「さあ、そろそろ帰ってお眠り」
 その言葉に促されて立ち上がる私の頭に、そっと手を置いて管理人さんは言う。
「このことは、誰にも秘密だよ。誰かに喋ったりしたら、君も蝶になってしまうからね」
 悪戯っぽく片目を閉じる管理人さんに頷いて温室を出て、来た道を戻る。あの人は不思議だ。いったい誰なのだろう。
 学校の先生に聞いても、管理人はそんな人ではないと言う。確かに、昼間温室にいるのは、怖い顔をしたおじいさんだけだ。不思議と言えば、女子寮に暮らす女の子が、毎年数名ずつ行方不明になっているのも気になる。そう言えば、先生が何か気になることを言っていたっけ。確か……
「いなくなってしまった子はみんな、あの温室を気にしていたわ」。


 10月5日分。花言葉「秘密のひととき」。

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