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すぐに助けない見守る優しさ

毎日の練習には、アジャストをする側と受け取る側と言う両者の関係性がとても大切だなぁと思う。
バックベンドなんて、深まってくるともう阿吽の呼吸の世界。アジャストする側の観察力も凄いのだけど、受ける側の信頼して任せると言うのも大事。

私が目下取り組み中のカポターサナ。その日は身体も浮腫んだような重たい感じがしたのだけど、行けるところまでやってみよう、でカポタまで辿り着いた。右手はがっしり踵を掴めた。その後腿に体重を乗せ直して、ジリジリ左手を踵まで…とはいかず、土踏まずあたりまではいけた。あとちょっと、もう一踏ん張り!横で応援する雰囲気を感じた。

でもすぐアジャストしに来ない。

あぁ、もうここが今日の限界、と諦めた私を見計らったその瞬間,アジャストで左かかとを掴ませてもらって5呼吸。

すぐに助けない優しさを感じた。

その人が自分1人で出来るようにアジャストしたり、しなかったり。

次の日はよっしゃ、今日こそ!みたいに意気込んで、撃沈。そんな日はすぐにアジャストしに来てくれて、両手アジャスト頼りのかかとキャッチ、大いに甘えたカポタで終了。
意気込むとね、執着心が産まれて自由じゃなくなるんだよね。余白が無くなるんだろな。心も身体も。

執着はだめ、絶対 (何かの標語風)


昔みたいに早く次に進みたいから頑張っている訳では無いし、アシュタンガヨガは、ぶっちゃけこの出来るようになるまでの試行錯誤の過程が1番楽しかったりする。出来る人は早くポーズをもらってサクサク次に進む楽しさもあるかも知れないけど、出来ていないなら、じっくり取り組みなさいと言われているかのようにオマケで次のポーズは貰えない。厳しいように見えて、それもきっとあなたなら出来るよ,と言う優しさ、信頼なんじゃなかろうか。

そんな事を感じたここ最近の練習日記。




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