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手術せずに・・・

私は小さい頃、岸壁に立ってたときに、父親の帽子が風で飛んでしまい、それを取ろうと思って、岸壁から落ちて、頭を打った。なぜか、病院には行かずに済んだ。

そして、社会人になって、転職と引越しが重なり、とても疲れていたときのこと。引越しが終わって、少し落ち着いたので、おいしい昼食を作ろうと、食材を買いに道を歩いていた時、通行禁止の方向から、猛スピ-ドで入ってきたバイクに気づかず、跳ねられ、身体が宙に浮いて、飛ばされ(後日、目撃した人に聞いた)、頭を打った。

救急車が来るまで、意識を失った。救急隊員に起こされて、目が覚めたら、私の周りには近所の人達が輪を作って、私のことを見ていた。一瞬、自分が死んだのかと思ったが、死んでないはずの知り合いが数人見えたので、ほっとした。

病院に着いて、医者に「頭の出血が止まらなければ、手術しなければならない。」と言われた。「絶対に嫌です。薬で何とかしてください。お願いします。」と私は答えた。

何があっても、絶対にメスだけは、私の身体に入れないという強い考えが、私にはある。何故かはわからない。

だが、昔、同じようなことを医者に言ったことがある。腹痛がひどくなって、救急車で病院に運ばれたときに、盲腸かもしれないから手術だと言われた。しかし、私は「手術はぜったいにしません。薬で散らしてください。」と断ったのを思い出した。もちろん、医者は変な顔をした。でも、そんなことは全く気にしなかったのだ。

幸い、頭の出血は止まり、約10日間の入院で、手術をすることは免れた。

その後、1年間の休職をし、もう1年間は失業を選んだ。年齢的にも、仕事に戻ったほうがいいのではないかという心配は少しあったが、たまに、軽いめまいがあったりして、とにかく、頭の怪我だったので、自分のためにそうしたかった。後はなんとかなると信じていた。

数年後に就いた仕事は、仕事量が多く、しょっちゅう、飛行機での長距離移動があった。そんな生活が半年くらい続いたが、プロジェクトも終わり、その仕事の契約が終了したあと、家で横になってたり、歩いたりすると、足が痛くなった。ハードな仕事で、身体が無理をしていたから、ガタがきたのか、それとも加齢のせいかと思ったりした。

でも、自分なりに、何故なのか、どうしたらいいのか調べたり、たまに、オステオパシーの先生や友人達に治療してもらった。治療してもらった後は痛みがなくなったが、しばらくすると、また痛みが戻ってきた。

仕方なく、数ヵ月後に病院に行き、足やひざのレントゲンを撮ったりしても、わからず、3ヵ月後くらい経ってから、腰のMRIを撮った。結果は腰椎のすべり症。医者には「後になると、ひどくなるから、今のうちに手術をした方がいい。」と言われたが、「しません」と、きっぱり断った。

オステオパシーの授業で、手術は、最後の手段と教えられていた。

1年が過ぎ、歩くと前よりも痛くなってきて、たまにベンチに座ったり、道でかがんで、運動靴の紐を締めるような格好で、腰のストレッチをしたりしながら、歩くと楽になった。その頃、骨盤を整えるという広告をしていたヨガに参加し、楽になった。でも、楽になったのも、少しの間だけ。

2年が過ぎ、友人達と夏に旅行をした。あまり気が進まなかった。私は、みんなの早いペ-スで歩くのが辛かったので、みんなに先に歩いていってもらい、私は何度も立ち止まったり、座り込んだりしていた。

あの時は、もう限界で、手術をしなければならないかもしれないと思うくらい、痛かった。以前と同じに、座ったり、ストレッチをしても、すぐに痛みが戻ってきた。手術は絶対にしたくないのにと、とても悲しくなって、涙が流れた。

しかし、自分の身体と会話をすることを忘れてたと思い、痛みに関して、はなし始めた。「無理させてごめん。」「なんで、そんなに痛くなってきたのか?」「どうしたらいいんだ?」「手術しないといけないのか?」

答えは、「大丈夫。」「絶対に治る。治せる。」「手術は絶対にしない。」だった。

こんな会話を、ずっと繰り返していた。

ある日、コーチングのトレーナーの友人に、私の痛みに関して話した。すると、背骨だったら、カイロプラクティックに行ったらいいかもしれないよと言われたすぐ後に、健康関係の展示会で、偶然、あるエネルギ-療法のカイロプラクターと知り合った。

治療に行ったら、「これは絶対に治る」と自分に言い聞かせなさいと言われた。「あれ?私も、そう思ってるんだけど。」と思いながら、治療に通った。

治療後は、更に痛くなったりしたことが、最初の頃に何度もある。でも、これは、痛くても我慢していた身体が、それに慣れてしまったので、良くなろうとしている力と戦っていると感じたので、「良くなる方、頑張れー」と励まし、痛くなっても、治療を続けた。

約半年経って、おかげさまで、いつの間にか痛みがなくなり、休まずに歩くことが出来るようになった。

この時に気づいた。自分で「治る」と信じていたけれど、痛くて、耐えられなくなっていたから、たぶん、ほんの少し、「無理かもしれない」という否定的な考えがあったのだと。そして、他の人から、治るんだから治ると思いなさいと言われたことが、更に自分への助けになった。とても感謝している。治療も。

このことで、学んだことは、私は手術が怖いからということではなく(ちょっとは、怖いかも・・・笑)、基本的に自分の身体は、治ると強く思えば、手術をしなくても治るということを知っていたのだということ。ただし、ちょっとでも治らないのかもという疑問を持ったらダメだということ。

自分のやったことは正しかった。自分の身体にメスを入れなくて、本当に良かった。手術をしていたら、ヨガのいくつかのポ-ズが、うまく出来なかったかもしれない。なんて、単純なんだ!






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