『女性のいない民主主義』

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前田健太郎『女性のいない民主主義』岩波書店。
ああ、なるほど、やられた。そう思った。
端的にいえば、「なぜ私がこの本を書いていないのか?」という悔しさでいっぱいだ。そもそも専門が違うからだ、というだけの話ではあるけど、猛烈な悔しさを覚えた。

「女性のいない民主主義」は政治の問題でもあり、政治学の問題でもある

日本の政治において女性が排除されてきたのに、なぜ日本が「民主主義」だといえるのか……?
この問いに対して著者は次のように述べる。

政治学という学問の性格に関わる問題であろう。どうやら、筆者も含めた多くの政治学者は、女性がいない政治の世界に慣れきってしまっていたようだ。少なくとも、民主主義という言葉が、男女の地位が著しく不平等な政治体制を指す言葉として使われていても、あまり気にならなくなってしまっている。その結果、何か重要なものが見えなくなっているのかもしれない。もし、政治学を別の視点から捉えなおせば、政治そのものも全く違った形で見えてくるのではないだろうか。

本書は日本の「民主主義」と呼ばれる体制において女性が排除されてきたという問題を告発することを目的としていない。女性が排除されてきたことを踏まえ、政治の問題ではなく、政治学の問題を指摘することを目的としていると理解した。

私は女子大に勤務しており、「現代社会と女性」というテーマのオムニバス形式の授業で2回の講義を担当している。その講義の1回目で私の専門が政治学であり、ジェンダーや女性をめぐる課題に対して政治学が長らく無関心であった、政治学楽しいけどムカつく、という話をする。どう考えてもジェンダーに関わる事柄は大いに権力(関係)と関連しており、お馴染みのイーストンの政治の定義である「諸価値の権威的配分」に照らしても、ジェンダーは政治学が扱うべき対象であろう。
もちろん、政治思想においてフェミニズムは重要なテーマであるが、ごく一般的な政治学の教科書では「ジェンダー」や「男女平等」などのテーマの扱いは極めて小さいあるいは皆無と言わざるを得ない。

ジェンダーに関わる政治学の実証研究がなかったというわけではなく著者がいうように「政治学の教科書が執筆される時には、収録される学説と、省略される学説がある。その際、男女の不平等に関する学説は、多くの場合、省略される側に含まれてきた」ということだ。すなわち、政治学は「客観性や価値中立性を持つ『政治の科学』を標榜したとしても、それはいわば『男性の政治学』にすぎない」のである。

余談だが、以前、ある男性政治学者が「ジェンダーに関わるDVなども政治的問題だから政治学の対象とする研究者がいるが、私にはよくわからない」と言っていたけど、「このあんぽんたん!政治学の対象に決まってるよ!」と思った。

教科書のような、そうでないような

本書は「標準的な政治学」、つまり「日本の政治学の教科書で紹介されることの多い学説」を紹介している。たとえばお馴染みの「投票のパラドックス」やシュンペーターの「民主主義」の定義、「ポリアーキー」、「民主化の3つの波」、「投票参加」など。そして、ジェンダーの視点からそれらの学説を見つめなおし、日本政治の現状を捉えなおしている。

学説の解説は簡易で、データを用いた現状の説明や、学説の問題を指摘することに著者は注力している。その結果、ただひたすら浮かび上がってくるのは日本政治における女性の不在と政治学におけるジェンダーの視点の欠如だ。痛烈だ。

したがって、学説を紹介しているという点では、教科書のようにも読めるが、実際には教科書の域を超える問題を取り上げている。

政治学をやっている人こそ読もう

本書は政治学に対する深刻な訴えを表明している。
漫然と信頼していた学説には大きな欠落あったのだ。
私自身も「政治学はジェンダーや女性をめぐる課題に対して無関心だった!政治学はゴミ!」とか言いながらも(このようには言っていないけど、たぶん)、政治学系の授業では当たり前のようにジェンダーの視点を無視して、教科書に登場する学説を紹介していた。ジェンダーに関する回を設けたこともあるが、それはあくまで争点としてのジェンダーを取り上げただけで、ジェンダーの視点は授業全体を通じて欠如していた。本書を読み始めてから猛省の日々。

というもの、基本的に政治学における男性中心主義を私自身が内面化しているという問題がある。著者は次のように述べており、「わかるーーーー」というバカっぽい感想を抱いた。

一度、ジェンダーの視点をあらゆることに適用できることが分かると、世界の見え方が違ってくる。そして、どのような政治現象を見ても、「では、女性はどこにいて、何をしているのだろうか」「あの政治家が行った選択は、その人が男性だったことと、関係があるのだろうか」などと問いかける習慣が身に付いてくる。
ジェンダーの視点から眺めることで、世界の見え方がこれほど変わるのならば、そのことを最初から知っておきたかった。自由主義やマルクス主義があらゆる政治現象を説明する道具立てを備えているとを同じように、フェミニズムもあやゆる政治現象を説明する論理を持っているということを、知っておきたかった。

もう一点反省するとすれば、本書を3年生ゼミの授業で読んだのだが、政治学の基礎を持たない学生には少々難しかったように思った。というのも、政治学の知識がないまま本書を読んでも、政治の問題を理解できても、政治学の問題には気づきにくいからだ。政治学を知らない読者には教科書と併せて読んだり、政治学に明るい人の解説を聞いたりしてほしい。

最後に。
やっぱり政治学をやっている学生や教員に読んでほしい。政治学の教科書にジェンダーの視点が足りていない、ということにはもしかしたらすでに多くの研究者が気づいていたのかもしれない。しかし、こうして新書という読みやすい形態としてこの問題を指摘したことには大きな意義があるし、私が出会ってきた「科学としての政治学」を信奉する人たちにぜひおすすめしたい。

政治学(者)の悪口を言いたいかのように読めたかもしれないが、政治学に関わる人々に本書を読んでほしいのは著者と次の意見において一致するからだ。

ジェンダーの視点に基づいて標準的な政治学の学説を見直す試みは、時には社会の主流派である男性に対して不快感を与え、時にその敵意の対象となってきた。だが、その批判は政治学という学問に対する憎しみに基づいて行われるのではない。むしろそれは、政治学をもっと豊かな学問にしたいと願うからこそ行われてきた。

単純に思うのは、ジェンダーの視点を取り入れると政治学がもっと豊かでもっと面白くなるということだ。新たな視点の導入は知的刺激が多く、新たな発見にも結びつき得る。そう考えたら、学問が好きな限り、無視することはできないはずだ。
すべての研究者がジェンダーの視点を取り入れて研究するべきだという話ではなく、こうした視点を不要として棄却するのをやめてほしいだけだ。

そして、本当の最後。

多様なアイデンティティを持つ人々の意見がぶつかりあう問題においては、対立する当事者たちの間で妥協が難しい場合も多い。そのような状況において、自分の視点の正しさを力説し、相手を論駁しても、おそらく得られるものは少ないだろう。むしろ、自分の視点から見える世界が限られていることを認めたうえで、他の視点から見た世界のあり方を踏まえ、粘り強く対話を続けるしかないのではないだろうか。本書は、そのような対話に資するような、視点の多様性に開かれた政治学のための、一つの試みである。

以前『未来をはじめる』を紹介したが、この本の副題は「『人と一緒にいること」の政治学」だ。政治とはまずは「人と一緒にいること」から始まる。私たちは常に自分とは異なる視点を持つ人とともにいる。政治を論じる上で自分から見た「他者」の視点に少しだけでも注意を払っていけば、「他者」との対話はより実り多きものになるだろう。だからたまには女性の視点にも目を向けてほしい。ただそれだけ。

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