『未来をはじめる』

宇野重規『未来をはじめる――「人と一緒にいること」の政治学』東京大学出版会。
高校生に向けた講義の書籍化。
唐突だが、およそ無関係な作品から以下を引用したい。

あなた一人で生きてるんじゃないもん。この世界にあなたは関わってるの。どうしようもなく関わってるのよ。

私の大好きな脚本家・木皿泉の大好きなドラマ『セクシーボイスアンドロボ』に出てくるセリフだ。私たちは嫌でも他者と関わりを持っている。本書はそのことについて語ってくれる。

政治とはなにか?

おそらく多くの政治学の入門の授業で、この問いを取り上げるだろう。多くの教科書もこの問いへの答えから始まっている。
私が授業準備で使用する多くの教科書でも同様であり、結果として授業ではデイヴィッド・イーストンの「価値の権威的配分」という定義を解説する。
ここでイーストンの定義は説明しないが、内容はともかく、「価値の権威的配分」という字面はあまり魅力的ではないだろう。「価値」とは。「権威的」とは。「配分」とは。疑問しか出てこず、初見ではまったく意味が分からない。実際に同僚も「よくわからないから授業では扱わない」とまでいっていた。

一方で、私としては「政治を考える」とはどういう営みなのかを振り返るとき、以前より「大切な近親者、どうでもいい他人、我慢ならない隣人とともに生きていくことを考える営み」だとふんわりと思ってきた。授業でこうしたことは言ってはいないが、本質的にはイーストンの定義とほぼ同じ意味だと考えている。

以上のような経緯から、出版された当初より本書に強い関心があった。なにしろ副題が「『人と一緒にいること』の政治学」だからだ。
民主主義体制においてはすべての人間は平等であり、一方で、一人ひとりは異なる意見を持つ個人だ。平等で多様な個人が集まって生きていくことは素晴らしいが必ず意見、利害などの衝突が生じる。著者は、こうした問題は一国内、あるいは世界規模で見るだけではなく、私たちのごく身近な生活の中でも見受けられると述べる。すなわち、本書の基となった講義を受講した高校生の教室の中にも政治はある。

こうした前提から始めれば、政治、あるいは政治学でさえ、さほど遠いものではないと理解してもらえるのではないだろうか。政治とは国会や首脳会談、選挙戦で行われるだけではない。政治が私たちの身近にあるのは、国会や国際会議で下された決定が私たちのお財布事情などに影響するからだけではない。政治とは家庭の中にも、教室の中にも、職場にも、電車の中にも、恋愛関係の中にもある。そこに政治家や官僚は必ずしも介在しない。

「人と一緒にいること」と政治学

本書は政治学の入門書というよりも、政治学の前提をか易しく、かつ優しく提示してくれる。ルソーやヒューム、カント、ヘーゲル、ロールズなども登場するし、小選挙区制度と比例代表制の帰結の違いなどへの言及もあるが、基本的にはどういった考え方に政治学という学問は支えられ、どのように政治を考えるのが適切なのかを教えてくれる。たとえば、
・私たちの社会を作っているのは文化や伝統というよりも制度
・制度を変えれば社会は変わる
・選挙などの制度は必ずしも最適なものではない
といった、いわば多くの人の思い込みを解体する政治学の前提を著者はやさしい言葉で論じる。
こうした前提から出発して「人と一緒にいること」を考察する学問が政治学だといえよう。

みんなが政治を語るためのツール

政治は否が応でもみんなが関係していることだが、その複雑性ゆえに語るのが困難だ。だが、決して政治は政治家や官僚や政治学者が独占するべき領域ではない。

本書は多くの人に政治を正確に捉え、理解し、分析するための言葉と考え方を提供するものだといえる。政治から逃れられないならば、政治を考えるためのツールを持つことは大きな武器となるだろう。その意味において『未来をはじめる』という主題が付けられたのだと感じた。

本書は世界の現状確認から始まる。イギリスのEUからの離脱、トランプの当選、貧富の差…現状はあまり明るくない。この現状に落胆したり、絶望したりすることも可能だが、本書はむしろこうした問題に希望を持って立ち向かうための思考と行動に必要なツールをやさしく与えてくれる。まずは希望を持ち、政治を考えることが「未来をはじめる」一歩になろう。

あわせて読みたい

坂井豊貴『多数決を疑う――社会的選択理論とは何か』岩波書店。
集団で何かを決定するのは難しい。修学旅行の行き先も文学賞の受賞作品も大統領も複数の人が集まり決めるならば、決める際のルールが結果を左右する。うまく人々の意思を反映した結果を得るには、私たちが頻繁に用いる多数決でいいのか。
『多数決を疑う』は『未来をはじめる』でも言及されている新書で、読みやすく、分かりやすい。「人と一緒にいる」のならば、人と一緒に決定することが必ずあるだろう。私たちが頼りがちな多数決の問題を指摘し、集団で決めるためのルールを考える際のヒントをたくさんくれる良書。

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