エッセイ『肉豆腐』

先日の新聞に昨年亡くなった小柴昌俊さんのことが書いてあった。「ニュートリノ」の研究でノーベル物理学賞を受賞したのは2002年だったが、その40年ほど前にすでにニュートリノの可能性を東大の講義でされていたらしい。ニュートリノが何なのかさえ未だに知ることもない私には目眩のする年月だが、その世界では当たり前なのだろうか。つくづく学者というのは探究心と根性の塊だと思う。
その記事の中でひとつ、長男の俊さん(香川大学の教授で科学者)が言っていた「父がいなければ、研究者になっていなかった」という言葉に心に留まった。

父がいなければ、母がいなければ、両親があの時出会っていなければ、私はここにいない。
私が結婚してなかったら息子はいない。
あの時あの人に出会っていなければ、今の仕事はできていない。
あの時あの友人がいなければ、今東京には住んでいない。
私の過去にもそういった「もしも」がいくつも存在するのだけど、俊さんの言葉はそういうのではなくって、とても自信に満ちた堂々とした、力強いものに見えた。お父さんから影響を受けながら、自分の人生を生きてきた強さを感じた。

私が「父がいなければ」という話をひとつするなら、実家にいた頃に私が作った肉豆腐を食べて、父が「えりちゃんは料理を仕事にしたらええんちゃうかな」と言ってくれたことだ。
そのころぼんやりとその道を夢見はじめていた私にとって、背中を押してくれた大きな出来事で、とてもとても大事な私の過去だ。冷蔵庫にあった牛肉に絹ごし豆腐、玉ねぎと白菜。これをだしでクツクツと煮た肉豆腐。白地に赤い花の絵が描かれた楕円形の、深さのある器に私は肉豆腐を盛り付けた。そこから箸を運び、ハフハフとおいしそうに食べてくれたことをずっと覚えている。父は覚えているだろうか。

肉豆腐を作るたびにこのことを思い出す。
今、父は闘病している。コロナのせいで会うこともできていない。毎日巡る思いの行き場所がわからずに、過去の大切なことを拾い集めている。
だけど思い出すのは与えてもらったことばかりだ。影響ではない。
私はいつも父や母に、姉に守ってもらって生きてきたのにそれに気が付かずに、自分の努力だと勘違いしていた。
ようやくそれが間違いだったというくらいはわかる歳になった。

まだ自分は胸を張って「父がいなければ」という言葉を選べない。
だけど父が何十年もかけて積み重ねてきたものから私も確実に影響を受けているはずだし、その影響の賜物を形にしたいと思う。
「父がいなければこうなっていなかった」と小柴さんの息子のように自信を持って言える日が来るよう、今は大事な過去はそっと心にしまい直し、自分で選んだ道で励んでいこう。

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