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私と家族と食卓と#1~お好み焼き

これまでで一番たらふく食べたなっていう思い出ってありますか?
大学の時に地元の親友(大き目サイズ)の家族に連れて行ってもらった宝塚ホテルのバイキングや、大好きな中華屋さんでこれでもかってくらい息子と食べたことを思い出すけど、一番は何と言っても家のお好み焼きです。

兵庫県の実家ではよくお好み焼きを作っていて、うちのはスルメイカを母がガシガシと豪快に卸したものと、豚の薄切り肉とのミックスが定番で、基本的にその1種類。
姉が高校生になったくらいには、たまにそのうちの何枚かには流行りの「とろけるチーズ」をのせるアレンジもし始めたけど、結局「普通の」が一番売れる。
そうそう、とろけるチーズが一般的になったのは雪印が発売した昭和の終わり頃らしいから、私の記憶とちょうど一致する。
いわゆるピザ用シュレッドタイプじゃなくて、「とろけるスライスチーズ」が多かった気がします。

我が家ではお好み焼きはキャベツを千切りにしていたけど、テレビで1~2cmにザクザク切って作っているのを見て、作るのラクそうとのことで途中から母はこちらに変えた。
東京出身の母には大人になってから馴染んだ料理だろうから、もしかしたら私たちは発展途上のものをずっと食べていたのかもしれない。
私は千切りよりも粗い食感のあるザクザクキャベツのものの方が好きで、今自分で作るのもこちらだ。

直径15cm位のものを一人最低2枚ずつは必ず食べ、その後キャベツたっぷり、イカたっぷり、豚肉たっぷりの、
今思えばお好み焼きと全く同じ具で作る焼きそばを4玉分。母が屋台のおばちゃんと化して炒め上げる。
暑い日も寒い日も、お好み焼きの夕飯時には家の窓はつけっぱなしのホットプレートの蒸気でモワッと白くなり、
娘たちはふはふはと次から次へと食べた。

忙しかった父は食卓に大抵おらず、父には申し訳ないがこの風景には女三人しか登場しない。
思い起こせば、クリスマスも、ひなまつりも三人で、
たまにはいたのかもしれないけど、いないのが普通で、それが日常だった。
仕事で不規則な生活だったから、父だけ遅くに一人でハンバーグを食べていたり、
夕方にきざみうどんを食べて出かけていったりしていたな。

お好み焼きの日は、あらかじめ覚悟が必要なくらいたくさんたくさん食べると決まっているのだけど、
その時は「小ぶりに焼いたから」という母の誘導で確か5枚食べたあと、しっかり焼きそばを食べ、
ソファーにのけぞって座ると本当にプチっとお腹が音を立てた。
「ああ、お腹、はち切れちゃったかも」と服をめくって確認したが、
もちろんヒビは入っていなかった。
あの日をしのぐ食欲とおなかの膨らみを私は知らない。

成長期を過ぎた頃に、私たち姉妹に母が言った。
「お好み焼きの時って、別に焼きそばしなくてもいいんだってね」

そうか。母なりに関西になじもうとした故のメニュー構成だったのか。
姑である私の祖母の家で私は一度しかお好み焼きを食べたことがなく、しかも牛の薄切り肉をのせていて驚いたから、いったい母はどこで焼きそばの〆付きの、作り方を学んだんだろうか。
ちなみにその日から、お好み焼きと焼きそばは切り離されました。

息子に「あと何枚食べる?」と聞きながら、お好み焼きを作っては食べさせ、そのたびに子どもだった私を思い出すのです。

『お好み焼き』
≪材料≫(直径15cmのもの7~8枚くらい)
キャベツ 1/2玉
長芋 200g
卵 3個
薄力粉 2カップ
水 1.5カップ~

豚薄切り肉 200gくらい
するめいか(あれば卸して)1杯

≪作り方≫
①キャベツは1~2cmにザクザク切る。
長芋は皮をむいてすりおろす。
材料をすべて合わせて菜箸でぐるぐる混ぜる。
☆水は生地が濃度を調整しながら。菜箸がスムーズに回るくらい。

②ホットプレートにサラダ油(分量外・適量)をしき、
豚肉、するめいかを使う分だけ入れてさっと焼き、その上に①を分けて流す。

③焼き色が付いたら、返して両面焼く。

④皿に取り出し、ソース、青のり、かつお節、マヨネーズなどで食べる。

ソースはとんかつソースとウスターソースを2:1くらいで合わせたもの。
私と息子はここにオイスターソースとケチャップを足したものが最近好きです。


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