夏休み、ブダペストの雨
ぽつりぽつりと降り出した。ちょうどメトロに続く地下道があったので階段を下り、ブラハ·ルイザ広場交差点の向こう側に出る。
階段を上がると雨はすっかり大粒になっていた。
こちらの角では人間が雨宿り、あちらの角の軒下には鳩たちが規則正しく並んでいる。地上10mの雨宿り。
鳩は意外にパーソナルスペースが広いらしい。一定間隔を保ちつつ、押し合いへし合い割り込み放題。
まっすぐに降り落ちる重たい雨粒は景色を白く滲ませ、夏の炎天下でほてっていたアスファルトの熱を少しずつほぐしていく。雨水は人通りのまばらになった歩道を洗い流し、微かな傾斜に沿ってどんどん車道に流れ込む。
すっかり水を吸い込んだ歩道は、丁寧に磨かれたタイルのように眩しい。
小降りになったので雨宿りはやめて、ラーコーツィ通りを右折して歩き始める。
時折屋根からしたたる水滴の円いスタンプが、Tシャツの右肩に増えていく。
歩道に干からびていた様々な物質は再び水分を得て、落ちた当時の有り様を取り戻すかの如くにおいを放つ。誰かがこぼしたジュースの、誰かが落としたアイスの、犬だか人間だかの尿の。
それらは刹那に大量の水と混じり合い、道路脇の細長い水溜まりに溶け流れ、微かな雰囲気のみを残していく。
今や全ては同じ水溜まりの中。
突然後方から一台の車が走り寄ってきた。最右車線を少し右寄り過ぎに。
タイヤは水溜まりの中央を切り抜けて、じゃばじゃばと灰色の雨水を吹き上げていく。まるでその中に溶けた歩道の記憶を、元あった場所に投げ戻そうとするかのように。
だけど、その水もまたすぐ車道に流れ戻る運命にある。
頭を形容詞がよぎっていく。「大げさな」「迷惑な」「保守的な」「懐古的な」「空しい」「極右の」。
いや、この中で形容詞は1つだけだ。
前方にケレティ駅が見え始めた。
私たちはそこでペーチュへ向かう切符を買う予定だ。