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そこでは時間が止まっているかもしれない。

移り行く時間はその流れを止めることなく、さらさらとこぼれ落ちるばかり。
必死になって留めようとするならば、流れを見ることさえできず、空っぽの両手が残るのみ。

この世に生まれた生き物は、みんな死に向かっている。
不老不死、老いないことと死なないこと。それは多くの人間が昔から望んできて、まだ誰も成し得ていないこと。

この間、猫のトイレを掃除した。
うちの猫について語ろうとすればいくらでも語れるのだけれど、この文章の趣旨は他にあるのでここでは触れないことにする。

話を戻そう。
この間、猫のトイレを掃除した。
あのかわいくて小さな体から、どうやったらこんなに破壊力のある物体が出せるのかと、いつも愕然とする。
私はこの作業が好きではない。

うちの猫は糞は隠すが尿は隠さないのが流儀らしく、石のようなひとつの塊となった尿は砂の上面に乗っかったままにされる。去年の夏に訪れた龍安寺の石庭を彷彿とさせる光景と言えなくもない。
シャベルで掬い上げると、平べったく丸い形が保たれたまま固まっていて、中央には放尿時にできたであろう小さな穴がそのまま残っている。

私はそこに、時間の流れから逸脱したグロテスクな存在を見た。

形を成さない液体である尿が、砂と結びついて一時的に固形になる。普通の砂ならば次第に液体は蒸発し、たとえ一時的に団子状になったとしても、重力やその他諸々の力によって形が変えられていくはずだ。
それが私の知っている自然の循環。

猫のトイレ砂は一見砂のようでいて全く砂ではない。
相容れない小さな粒の集合体ではなく、液体が介入した途端に相容れる粒の集合体。
ここでは液体は、流れ抜けることが許されない代わりに、その瞬間の形を保つことが許される。

猫のトイレ砂に触ったが最後、尿はこの世の循環から永遠に切り離される。
終わりなき循環からの解放。
これはまるで輪廻転生からの解脱を語る言葉のようにも聞こえる。

以前は変化自在だった液体は固まって、その形を固持するようになった。周囲に身を任せて悠々自適だった液体は、頑としてその立場を譲ろうとしなくなった。

液体は今までの日常から解き放たれて、どこへ向かっているのだろう。

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