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霧は晴れる

March 30, 2022

あっという間に桜が見ごろを迎え、春がやってきました。あさってからは4月です。新しい生活がはじまる人、それをお見送りする人も多いかもしれません。春は人と人が交わる季節です。

わたしはアメリカ研修の前、研修(という名の労働)の一環で文科省で勤務しましたが、最初の2ヶ月はかなり(ものすごく)苦労しました。チーム制(フラット制)の東大とは異なり決裁ルートの長いピラミッド制の仕事の進め方、超・長時間労働、なんでもかんでも紙に印刷する文化(DXで変わったかも?)、そして、みんなぎりぎりの状態で働いているせいか、なにかいやなことでもあったのですか?と聞きたくなるような苦虫をかみつぶしたような様子の人もちらほら。雰囲気に馴染めず、1か月後には体調をくずして3週間休んだという経験があります。
仕事の波に飲まれていた当時の自分に、いまなら、足もとがもつれる前にとりあえず早めに帰っていったん頭をリセットしたらと声をかけますが、休むことは止まることではなく息継ぎをすること、というのは頭ではわかっていても、仕事をそっと横において早く帰ることはなかなか勇気のいることです。

文科省では、滑り出しの「黒歴史」を経て、こんなに頭のいい人がいるのだとびっくりするような上司たちにも出会い、良き慣習も悪き慣習も学びながら、どうにかこうにか文科省での勤務を終え、翌年アメリカに行きました。
そして、そこで見たのは仕事がおわっていなくても定時でいさぎよく帰る大学のオフィスの人たちの姿。それぞれの生活スタイルと折り合いをつけながら、仕事をするときは(人によっては昼休みも使って)集中して働き、仕事を切り上げるときにはすぱっとおしまいにする。日本とアメリカの大学の雇用形態のちがいも一因ですが、生活と仕事のそれぞれについて、優先順位を明確にもっている人が多いようでした。(その分、ジョブディスクリプションに定められた職務がまっとうできなくなったら解雇、というシビアな働き方の側面も。)

文科省で大学からの研修出向という「よそもの」として働いたこと、アメリカで仕事は生活のすべてではなく一部であるという働き方を見たことで、職場には声を大きく出せる人もいればそうでない人もいること、日中はすました顔で仕事をしていても職場の外での事情はみんなそれぞれだということを知りました。

わたしは最初、サンフランシスコがすきではありませんでした。夏なのに寒く(トム・ソーヤの冒険の作者マーク・トウェインも同意見)、家賃は全米随一の高さ(年収1,000万円だと「低所得」世帯に分類)、合法となっているマリファナのせいであちこちにただようハーバルな香り、おまけに「シスコ」のスペリングはCだかSだかまぎらわしい。
多様性の街というけれど、自分と異なる人はたいがい「変」に見えるものなので、「いろんな人」がいることに居心地のわるさを感じていました。街を歩いていても、「キャップとサングラスとじゃらじゃらしたネックレスをつけているラッパーみたいな黒人系の人」も「マリファナでハイになって奇声を発している人」も、同じように「自分とはちがう人」に見えて、そっと距離をとる自分がいました。
けれど、街や人々を観察しながらそろりそろりと「自分とはちがう人」に近づいてみると、だんだんと「変」が「ふつう」に。いつの間にか、自分の「ふつう」の輪郭が広がっていました。(ハイになっている人はただのおかしな人なので近づいてはいけません)

同じ職場でデスクを並べて働いていても、職場でもっている声の大きさも、職場の外でかかえる事情も、みなそれぞれです。「自分とはちがう」のが「ふつう」。定時という枠で仕事をおわらせて帰る職場は、いろいろなひとを受けとめやすい職場です。

サンフランシスコは霧深い街です。来る日も来る日も朝からもやがかかった景色が広がってると、今日もまた霧か、とげんなり。 けれど、サンフランシスコの霧は午後になるとたいてい晴れることも多い。晴れない日もありますが、そんな日は明日に期待します。

さて、今日はノー残業デーです。繁忙期で仕事を切り上げるのが難しいひとも、あさってからの新生活に緊張しているひとも、きょうがなんとなくぱっとしないひともいるかもしれませんが、はやめに帰るのは明日を元気に迎えるため。きょうははやめにパソコンを閉じ、身体をやすめましょう。家族や友達とおしゃべりし、ごはんを食べ、おふろにはいっている間に、きっと霧は晴れています!

(写真:Golden Gate Bridge)

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