働くことの意味、生きることの意味
まず、倫理学講義で語られたことをまとめてみる。
「やりがい搾取」
自己実現系ワーカーホリックという言葉は個人の動機を重視しているように見える。だがそれはやりがい搾取にもなる。
例えば、ブラックバイトではバイトリーダーという名前をつけることで中心業務を低賃金でこなさせる。
これは教師の労働においても同様かもしれない。なぜ教師たちは情熱を持って労働をするのか。「子供のため」「自己成長のため」か。
今の私にはわからない。だが、社会的にはあれほどブラックと呼ばれる環境において労働を続ける教師がいる。つまり、確かに「自己犠牲、やりがい」という表層の基、教師は搾取されている。
だが、これに反発する余地はありそうだ。そもそも本人が搾取と思っていないこともある。故に、私たち他者が「それは搾取である」と暴力的に名付けることは看過できない事態だ。
そもそも、なぜ働くのかは永遠に判明しない。私は働くことの意味が働くうちに見つけ出そうとし続けることによって達成されると信じている。いくら社会の目からは搾取に見えようと、本人たちは必死に働く意味を見つけようとしているにすぎないのかもしれない。
生きる意味も同様。生きる意味なんてわからないけれど、生きているうちに見つけ出そうとし続ける。そう考えなければ人間は生きられない。
指摘されるべきは「やりがい搾取」ではなく、「今を一生懸命に生き続けている」人を否定する考えだ。
目的がわからないから生き続ける。目的がわからないから働き続ける。これが人間の人生を彩っていく。