エリックゼミとデビッド・ボウイの共感とは?

『エリックゼミはメディアである。』

これはエリックゼミを表すもっとも象徴的な表現です。今まで大学のゼミは閉鎖されたコミュニティーでした。これは日本の大学の悪しき特徴であるとも言えます。僕が青山学院大学 地球社会共生学部の教授としてゼミを開始したのは2020年からになります。ゼミの全体像を設計するにあたり、まず決めたのがゼミそのものをメディアにすることです。

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実はこの発想は、デビッド・ボウイから大きな影響を受けています。本記事では、どのようにデビッド・ボウイからエリックゼミが影響を受け『エリックゼミはメディアである。』に至ったのか、またデビッド・ボウイはメディアとどう向き合ったのか新しい過去を振り返り共感していきたいと思います。

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(出典:David Bowie Official Website https://www.davidbowie.com/news)

“I guess I was one of the first to really say I’m USING’rock’n’roll.”
“I’m using rock’n roll as a media.”
(参照: BBC Documentary 2013 "David Bowie five years

ロックを”利用する”と言ったのは僕が最初だろうね。僕はロックをメディアとして捉えているんだ。BBCのドキュメンタリー"David Bowie five years”でデビッド・ボウイはこう答えました。

音楽の楽しみ方に革命を起こしたMTV。1981年8月1日午前12時1分にCOOジョン・ラックによる"Ladies and gentlemen, rock and roll!" の言葉と共に開始された24時間ポピュラー音楽のビデオクリップを流し続ける音楽専門チャンネル。12時15分に最初の音楽ビデオ、バグルスの”ラジオ・スターの悲劇”がオンエアされ、その歌詞が表すように音楽は映像を楽しむ時代に突入しました。

映像メディアを最大限に活用したMTVの全盛期にナイル・ロジャースをプロデューサーとして迎えたLet’s Danceは魅惑的な映像と共に音楽の頂点に立ちました。当時の最高のサウンドと映像としてのメディアを”利用"した訳です。その後2003年のツアー中に心臓の痛みで緊急入院してから音楽活動から一時離れました。奇しくもその時MTVはほとんど力をなくし音楽業界から活気が失われていた時期と重なっていたのは偶然ではないでしょう。

その後、音楽は本格的なインターネットの時代になりマーケティングから販売まで全てインターネットが支配する世界になりました。“メジャーなカルトヒーロー”と呼ばれたデビッド・ボウイ。突然の死は69歳の誕生日に発表したアルバム『ブラックスター』をリリースした2日後。2013年1月8日、デビッド・ボウイ66歳の誕生日、なんの宣伝もなく突如、新曲”Where are we now?”のフルバージョンのプロモーションビデオが自己のHPで発表し全世界119カ国のiTunes Storeで一斉配信開始されました。アーティスト達がインターネットの世界に蔓延る海賊版に怯え守りになってきていた時代に、リリースから24時間で27カ国のiTunesのチャートでチャート1位の快挙を達成しました。デビッド・ボウイにとってはインターネットメディアまで音楽の一部として機能させてしまったのです。

 デビッド・ボウイは”Where are we now ?”を奇抜な発表で楽曲を公開する事によって何を語りかけたのでしょうか? Where are we now?Where are we now?The moment you knowYou know, you know僕らはどこにいるの?やっと分かった分かった、分かったんだ As long as there’s sunAs long as there’s rainAs long as there’s fireAs long as there’s meAs long as there’s you太陽が登って雨が降って火が灯って僕がいて君がいる限り インターネットでもソーシャルネットでもなく、素晴らしい音楽がそこにあって、それを楽しむ僕と君がいればいい。そんなシンプルなメッセージに聴こえるのは僕だけでしょうか。

“ロックスター”デボッドボウイの死を悼む言葉は、ソーシャルネットを埋め尽くしましたが、何か違和感を感じていました。デビッドボウイは、他のロックスターとは明らかに何かが違う。ロックを”メディア”として捉えている。私にとってデビッドボウイは常に不思議な存在でした。常に新しいもの、それも時代に一切迎合しないスタイルで表現していく。誰もが受け入れられるような音楽を提供しないアーティスト、理解不能なアーティースト。それが私にとってのデビッドボウイでした。

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(出典:David Bowie Official Website https://www.davidbowie.com/news)

メディアは、人と人とのコミュニケーションの間に媒介します。ミュージシャンにとっては、リスナーとの間に存在し、アーティストの情報が別の人に伝達される際に何らかのメディアが介在している。デビッド・ボウイ自身が言っていた利用するメディアとは何なのでしょうか?

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(出典:David Bowie Official Website https://www.davidbowie.com/news)

デビッド・ボウイは、衣笠貞之助の無声映画に影響を受けた舞踊家リンゼイ・ケンプに出会い、日本の伝統芸能、能や歌舞伎に没頭しました。その影響からデビッドボウイの音楽にはファッションが重要なメディア(媒体)になっていました。それが山本寛斎さんとの出会いに繋がりアーティストとしての表現に大きな影響を及ぼしたのです。レコードジャケット、メディア露出、ステージと常にファッションが媒体となりデビッドの表現力を引き上げてきたのは間違いありません。

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“That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.”
一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である
(出典: July 20, 1969: One Giant Leap For Mankind, NASA)

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アポロ11号人類史上初の有人月面着陸となった当時、人類初月面着陸の様子は世界中でテレビ中継され、世界人口の5分の1にあたる約6億人がその映像を見ました。月からのリアルタイム中継はまさにメディアの進化を物語るものでした。同じ1969年、デビッド・ボウイは宇宙飛行士トム少佐が宇宙船で漂流していくストーリーの名曲”スペースオデッセイ”を発表しました。アポロ11号宇宙開発に浮かれる世の近代化に対するアンチテーゼのメッセージを問いかけてくる作品です。

地上管制からトム少佐へ”Ground Control to Major Tom”地球から遠く離れた宇宙船に乗るトム少佐への問いかけから曲は始まります。世界で初めての偉業を成し遂げるトム少佐は宇宙で感じる無力。 僕は世界のはるか上で、ブリキ缶に座ってる。地球は青くて、でも僕にできることなど何もない。“For here am I sitting in a tin can far above the world. Planet Earth is blue and there’s nothing I can do.” そして宇宙に放たれるトム少佐 トム少佐、聞こえますか?聞こえますか?”Can you hear me, major Tom? Can you hear me, major Tom? Can you・・・” 宇宙開発という人間の進化ともいる偉業、その偉業をデビッドボウイの感性で解釈し楽曲として世に問いかける。技術の進化でさえもデビッドボウイにとってはメディアそのものだったのかもしれません。

24時間音楽のビデオクリップを流すMTVが立ち上がり、音楽業界は大きな変化の時期を迎えました。映像と音楽の融合、そして音楽の映像化によってサウンドは大衆化しました。その時代に問いかけるように、デュランデュラン、マドンナ等1980年代の音楽シーンを象徴する大プロデューサーであるナイルロジャースとの共同プロデュースで”レッツ・ダンス”をリリースし全英アルバムチャート1位を獲得しました。

さあ踊ろう。赤い靴を履いて、ブルースに合わせて。”Let’s Dance.Put on your red shoes and dance the blues”貧しい村に落ちていた真っ赤なハイヒール。それをキカッケに都会に出て豊かな生活を夢みる若い2人のカップル。最後に踏みつけられたハイヒールは何を意味しているのか。恐怖のために君の優雅さは消えてしまう”For fear your grace should fall” ナイルロジャースを迎えた”レッツダンス”によってデビドボウイがカルトからメジャーになれたと言う人がいます。私の解釈は違います。デビッドボウイにとって映像メディアを利用し、トレンディーな音の魔術師を利用してメジャーになるという実験をしただけなのではないか?オシャレな楽曲、スタイリッシュなルックス、そしてビデオクリップ。もう一度、”レッツダンス”のビデオクリップを見返すと、ビデオの内容そのものが、メジャーの対する反抗のメッセージであるとも読み取れる部分があります。皆さんのご意見はいかがでしょうか? サウンドの変化は、メディアを利用するための手段ではないかと感じるのです。

映像メディアという意味では、この時期、デビッドは俳優としても活躍をしています。1983年には大島渚監督の”戦場のメリークリスマス”に英軍将校ジャック・セリアズ役で出演し日本の映画ファンにも感銘を与えました。あまりにも美しい坂本龍一さんとのキスシーンの衝撃は今でも忘れられません。

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(出典:David Bowie Official Website https://www.davidbowie.com/news)

2000年に入り動脈瘤による緊急入院から音楽シーンから離れていたデビッドボウイ。MTVからインターネットの時代になり悲劇が起こりました。2011年に、2001年にリリースを予定していた幻のアルバム”Toy”がインターネット上に流出するという事件が起こりました。インターネットというメディアの負の部分を象徴する出来事です。

マーケティングから販売までインターネットが支配する時代。 2013年1月8日、デビッドボウイ66歳の誕生日。なんの告知も、事前プロモーションもなくデビッドは、新曲”Where are we now?”のフルバージョンのプロモーションビデオを自己のHPで無料で発表しました。その噂はソーシャルネットを通しあっという間に世界中に知れ渡りました。同時にインターネット購買システムであるiTunes Storeで全世界119カ国一斉配信開始という行動に出たのです。結果なんとリリースから24時間で27カ国のiTunesのチャートでチャート1位の快挙を達成しました。

僕はロックをメディアとして捉えているんだ。”I’m using rock’n roll as a media.” 僕らはどこにいるの?やっと分かった分かった、分かったんだ”Where are we now?Where are we now?The moment you knowYou know, you know”

2016年1月10日、18か月の闘病の末、癌により死去したことが公式Facebookにて公表されました。2日前の69歳の誕生日にはアルバム”ブラックスター”をリリースしたばかり。”ブラックスター”プロデューサーはトニー・ヴィスコンティは、”ブラックスター”別れにあたっての贈り物であると明言しました。

”Look up here, I’m in heavenI’ve got scars that can’t be seenI’ve got drama, can’t be stolenEverybody knows me now” (“Lazarus”)
見上げてごらん、僕は天国にいるのさ眼にみえない傷を負ってしまったんだ誰にも盗めないドラマを負ってきた今では誰もが僕を知っている。

最後のアルバムとなった”ブラックスター”は、自身初のビルボード全米チャート1位を獲得しました。 生涯をかけて自分を、そしてロックとう音楽をメディアとして生きたデビッド・ボウイ。エリックゼミはそのデビッド・ボウイの生き様、そしてメディアとしての考え方を受け継いでいます。僕の説明からではなく、デビッド・ボウイの音楽作品を通じてエリクゼミの想いを理解していただければ幸いです。

Peace out,

エリック


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