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12歳 母の最後の声

私は現在49歳です。この”note”にいろいろと書き綴ることで、自分の今までのことを振り返ったり、自分と向き合ったりしています。

1本のカセットテープを見つけました。舌癌を宣告され、舌とリンパ節を摘出する手術を控えた母が自分の声を録ってほしいと言った時のものです。手術後、母は、しゃがれ声しか出なくなりました。発語もはっきりせず、初対面の人との会話ではスムーズに言葉が伝わらなくて、何度も聞き返されるようになりました。好きだった歌も歌えなくなりました。

テープは手術の前日に、病院の廊下で録ったものでした。母が何度も「一緒に歌を歌って」「あなたと一緒に歌を歌いたいのよ」と言っているのですが、12歳の私は、時々人が通る廊下で歌うことが恥ずかしく、「え〜 嫌だ」「お母さん一人で歌えば?」と渋っています。

今になれば、母がどんな気持ちでこのテープに声を残したのか、私にもよくわかります。美しく優しい声をしていた母は「話し方が上品」「声がきれい」とよく誉められていましたし、母自身もそのことを誇らしく思っていました。その声を奪われると知って、最後に自分の声を録ってほしいと私に頼んだのでした。

12歳の私は、テープの最初から最後まで「嫌々」と「渋々」のオンパレード。自分の至らなさに情けなくなります。そんな私に母は、怒りのない声で何度も「一緒に歌って」と頼んでいました。終わりの方になってやっと、渋々一緒に歌い出す私…。

テープの最後には、電車の時間があるからと早々に切り上げて帰ろうとする私に「もう十分録れたね。ありがとう。電車に遅れるから急いで。」と言う母の声がありました。母はそのとき46歳。今の私より3つも年下です。

もう、穴があったら入りたい…。そして、お母さん、本当にごめんなさい。気持ちをわかってあげられなくて…。

46歳で自慢の声を失う前日の母。それでも、にこやかに我が子の帰宅を気遣う母。それに引きかえ、49歳にもなって自分のことしか考えず、まるで自分が悲劇のヒロインでもあるかのように振る舞ったり、自分の我を通してワガママ放題に生きたりしている今の私が恥ずかしすぎて、天国の母に合わせる顔がない。人生が思うようにいかないと嘆く前に、人の苦しみを知り、人に優しく在れと言われているような…。

懐かしい母の声に、改めて生き方を考えさせられるような、そんな気持ちになりました。


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