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”始めたきっかけは何ですか?”①

対面レッスンで、よく聞かれることです。
最も多い質問かもしれません。

それで、今まではこのように答えてきました。
「夫の転勤で広島にいた時、”メルヒェン”というドイツのおもちゃを扱うお店があって、そこで「ストロースターキット」を買ったのが始まりです

うーん、でも、皆さんが聞きたいことって、これじゃないですよね…。

「なんで麦藁手仕事をやろうと思ったんですか?」

「なんで麦藁手仕事を教えようと思ったんですか?」

そういうところだと思います。

これに対する答えは、自分の中でうまく整理できていなかったし、実は答えたくない(笑)所だったりしていました。
でもきっと、ここが他の方からみたら、面白いところだったりするとも思い、今回、先にオンラインでまとめてみたいと思います。
(人の人生って、小説よりも奇なりですので(笑))

(日本にはあまたのヒンメリ作家さんがいらっしゃり、私なんかは足元にも及ばない方々がいらっしゃいます。その一方で、私の中には素敵なものは人に伝えたいという”欲”があり、それはそれで活かしたほうがいいと思っているので、オンライン・対面で様々な麦藁手仕事をお伝えしています。大した人ではありませんが、オンライン受講生さんの中には興味のある方もいらっしゃるかと・・・(;^_^A ご興味のある方だけどうぞ。)
長いので二回に分けます。


もともと、自然と絵が好きな子だった


私は埼玉県出身なのですが、両親は新潟から東京に出てきています。子供のころ、夏休みになると新潟の祖父母の家へ行って、美しく恵み豊かな自然を満喫していました。
山菜取りやキノコ採りが私たちの楽しみ。昆虫を追いかけ、アケビをオーバーオールのすべてのポケットに入れて、山の中、祖母の背中を追いかけていました。
祖母の住む集落には「共有地」があり、集落の人なら誰でも入っていい山があります。山菜やキノコを採るとき、祖母は私に言い聞かせました。
「また来年も出てくるすけ、残しとけぇ」
「キノコの種をまいとけぇよ」
集落全体で山の幸を代々守ってきたのだと感じました。

その一方、絵を描くことも小さなころから好きで、賞状もいくつも貰っていました(小学生っていいなぁ(笑))。細かい作り物をしたり、絵を描いているのが好きな子で、絵画教室へも通っていました。


環境問題への関心と挫折

その後、大学では環境問題に取り組む学科に入りました。今から振り返ると、その時の姿勢としては「問題を解決したい」というよりも「人間がどうしてそういうことをするのか知りたい」という姿勢だったと思います。

学んでいくうちに、自分という個人の無力さを受け入れざるを得ないこと、机上での論議が実社会に対してどういう意味をもつのか分からなくなっていくという、なんとなく若者らしい、でもとても重大な問題に直面していきました。

同級生は公務員になったり、専門分野に進んでいく中、私はそういった方向へ気が進まず、民間で就職しようとしていました。
それはぼんやりしていてあまちゃんだった私がしっかり意思をもって決めた初めてのことだったかもしれません。

市井(しせい)のことこそ大事という信念

公務員や研究職に気が進まなかった根底には、生活の中にこそ大切なものがあるのだ(だからトップダウンではなくボトムアップで社会を変えるのだ)という考えがあったように思います。
けれども、”レールから外れる”ことは、その後の私を苦しめることにもなりました。社会的ステイタスは、今でも日本の個人の評価に大きくかかわっていると感じられるからです。
(畑でライ麦を育てて麦藁細工を作っているんですよと言うのと、公務員ですというのと、全然違いますから(笑) でも、最近になってデンマークでは社会的ステイタスは関係なく、そのような価値観のほうがが幸せなのだと知って少し楽になりました。)

一方で、色々経験した今なら、組織にいるほうが社会的インパクトは大きいという当たり前のことを当時の自分に言いたい(笑)

市井のことにこそ大切なものがあるのだという感覚は、おそらく子供のころの祖母との思い出に由来していると思います。
食べ物を山から貰い、田畑で作り、箒で家を掃除して、近所の人とお茶飲みをする。私にとってはものすごく豊かな生活に見えたのですね。しかし、その背景にはたくさんの苦労と冬の豪雪があることを、子供の私、若い私は理解しきれていなかったと思います。

ニッチなハウスメーカーでの挫折


挫折が続きますが(笑)、ある住宅メーカーにどうにか就職しました。渋谷の高速道路の横にビルがあって、そこで素敵な生活を支える住宅を全国に展開している会社です。ここでは約四年間しかいなかったのですが、かなりしんどかった…。
それ以前の就職活動中、いろいろな選択肢を考えました。伝統工芸の職人や農家も考えましたが、その当時はどうやってなれるのかわかりませんでした。「新卒採用」の枠に縛られてしまって、その枠外にたどり着けなかった。
なので、その枠の中で一番やりたいなと思ったのが、生活を作ること。その住宅メーカーは、自然と遊ぶ家というような生活スタイルを提案するコンセプトがあったので、共感したのでした。

けれども、入社してみるとオフィスでエクセルとにらみ合う生活、会社の内情、利益を出すためのやり方…20代の私は反発していました。世の中どうなってんだって、憤っていました(アラアラ…)
その結果、干されるというイタいことになってしまい、社長に嫌味を言われるという今振り返っても悲しい思い出です。

ただ、当時怒っていたことは、今もまだ、「それはやってはいけないことだ」と思っています。いろいろな会社があるとは思いますが、「利益を出さなければ存続(生存)できない」という企業の性質、経済優先社会の仕組みによって、人の気持ちが無視されたり、地球環境が未来にとって良くない状態に追いやられたりするのだということを、実体験したのでした。

そして、それに異論を唱えることは、「オトナ」になれていないということなんだと言い聞かされていたような気がします。今なら、反発することでは物事を動かせないということは分かってきましたし、世の中どうしようもないこともあって、その複雑さも理解でき、一気に変えられるわけがないことも分かってきました。(遅い???(;^_^A)
けれども、近年の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんへの反応の様々を見ていると、胸が痛みます。彼女はまだ十代ですが、未来を真剣に考えたなら、そういう反応をせざるを得ない。しかも、大人は真剣に取り合ってくれない。大人が、しっかり真剣にこの問題に向き合いさえすれば、彼女は安心して学校に行くことができるのに…。

利益・お金」の追求と、「幸せ」や「未来の幸せ(地球環境の存続)」が、実は別々のものであることを私たちは理解しているでしょうか。私を含めて、それらをごちゃ混ぜにしているような気がします
「お金持ち」≠「幸せ」ということを本当に理解しているか、「利益の追求」と「地球環境の存続」がしばしば反比例していることも気づいているでしょうか。

すみません、こういうことはどうも説教臭くなってしまうので、人に聞いてもらえないんですよね。
でも、私たちは究極的には誰もが「幸せ」を求めるものだと思いますので、世界でもっとも幸せな地域である北欧の価値観を見てみると、「利益」と「幸せ」と「環境問題」は明確に切り離され、「利益」よりも「幸せ」と「環境問題の解決」が優先されていることが見て取れます。

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北欧の幸せの秘密を探る② デンマークのHYGGEから|Forest Chimney 麦わら手仕事教室|note


このころ、挫折を味わった私に、ある体験が、まったく異質なもののように入ってきます。
冷たい世界だと思っていたところに、あたたかい陽だまりを発見したかのように…

続く↓
”始めたきっかけは何ですか?”②|Forest Chimney 麦わら手仕事教室|note


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