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“私は、女性である”ということを、改めて、“自覚した瞬間”~“初めての産婦人科受診”で、感じたこと~

皆さん、こんばんは!えりです。
 
本日も、当記事を、見つけてくださり、ありがとうございます🐥 
 
ふと最近、気づいたことなのですが、「“帰れる場所”があるということは、こんなにも幸せなことなんだなぁ。」と、しみじみと、感慨に耽っておりました。
 
私たち人間というものは、常日頃、ついつい、“人前で、いい顔をしたくなる生き物”ですが、そうやって、自分を抑制し続けると、いつかは、壊れてしまいます。
 
勿論、そうして、モチベーションを高めている方や、幸福感を得られている方も、数多くいらっしゃるかとは思います。
 
そういう方法も、私たちが、心身ともに、“健康な状態を保つためのひとつの賢い手”だとは思います。
 
「“辛いときこそ、前を向け”。敢えて、“笑顔をしてみよう”。」とは、よく言ったもので、凄く“健全な考え方”ですね。
 
ですが、それが“できない人も、一定数、存在する”のです。
 
「はい。正に、“私のこと”ですね。」
 
ですが、「それは、“悪いこと”なのでしょうか?人間として、どこかが欠けているのでしょうか?」
 
「いえ、“決してそうではない”。」と、私は思うのです。
 
“身長”や、“髪の色”、“体力”、“味の好み”、“好きな音楽” etc.
 
人によって、“身体的特徴”や、“性質”、“趣味趣向”が異なるように、「“心のキャパシティー”」も、それぞれ違うものです。
 
なので、「“辛いとき、頑張れない自分”を、どうか、“責めないであげてください”。」
 
“空元気”も、やりすぎると、いつかは、“ぺちゃんこに潰れてしまいます”。
“本当に、苦しいとき”は、「“なけなしのパン”を“人に、与えるのではなく”、まずは、自分に、与え、“自分の腹を満たすことから”、始めてみましょう。」
 
“自分を優先すること”は、決して、“自分勝手なことではありません”。
 
私たちは、“聖人君子”ではないですから。
 
“腹八分目”くらいになってきてから、“食べきれなくなった分”を、人に“分け与える”ことができたら、“それで、充分”だと思うのです。
 
「“自己犠牲”の上に、成り立つ“他者への思いやり”だけが、必ずしも、“正義というわけでもない”のではないでしょうか?」
 
これが、私が、心を怪我してから、考えていることです。
 
ですので、「“辛いときに、辛いと言える”。」
 
「振り絞るだけの力も残っていないときに、もう“疲れたよ”。と“ヘルプ”を出せる。」
 
「“小言”や、“愚痴”。」
 
「誰かを、“貶めるためのものではなく”、“自分の中で生まれた小さな違和感”。」
 
そうした「自分の中から湧き上がる“素直な感情”」を、ちゃんと“吐き出せる場所”があるから、私たちは、“生きていける”のではないでしょうか?
 
そして、こうして、いつも、こんな“私の拙い言葉”たちを、“拾ってくださる皆さんのおかげ”で、“この場所が、私にとっての帰れる場所”になりつつあります。
 
そんな、“ささやかな居場所を、つくっていくこと”が、“私の発信活動の原動力”です💪 
 
ではでは、本日も、ちょっとした小話に、しばし、耳をお貸しくださいませ👐 
 
日常の中で、「自分が、“誰からも、大切にされていない気がする”。特に、“女性として、扱われていない気がする”。」
 
「“キラキラしている人”。“華やかで、女性らしい人”。“女性性が、溢れ出している人”を目の前にすると、何だか“怖気図いてしまう”。“気後れしてしまう”。」
 
「“自分だけ場違いな気”がして、その場から、“どんどん乖離していく”。」
皆さんは、このような感覚に覚えはございませんか?
 
また、「街中で、“カップル”や、“家族”など、“幸せの象徴”のような形を目にしたとき」。
 
何だか“モヤモヤ”。
 
“心がざわつく感じ”。
 
もし、“共感していただける”方がいらっしゃると、私も、少しだけ、ほっとできます。
 
私は、このように、人に対して、“素直に、尊敬の念を抱いたり”、“他人の幸せを、素直に喜べない自分”が“大嫌い”で、受け入れたくはありませんでした。
 
これも、“変なプライド”のひとつですが、そういった“自分の闇”。心に棲みつく“Demonsの存在”と向き合うことを、恐れていたわけです。
 
それを認めてしまうと、まるで、“真昼の太陽の下で、丸裸にされるよう”で、“恥じていた”のです。
 
私は、「なんと、“醜く、心の狭い人間”なのでしょう。」
 
「“卑屈”で、“天邪鬼”。」
 
でも、確かに、“自分の中に、魔物は存在”していました。
 
そして、その存在を“無視し”、必死に、“自分を取り繕い”、“逃げ続ければ、逃げ続けるほど”、“魔物は巨大化”し、終いには、“飲み込まれる寸前まで、追い込まれていく”のでした。
 
そこで、ようやく、私は、“自分の心の闇と向き合う”ことにしたのです。
 
すると、気づいたのです。
 
“自分を偽り続けることで、巨大化してしまった魔物の正体”に。
 
それは、長年、「“顧みられなかった本当の自分の声”。」
 
「“ただ、見てほしい”。と、泣き叫ぶ“赤ん坊のような自分の存在”」に。
 
このことから、私と同じような感情で、苦しまれている方に、お伝えしたいことがあります。
 
それは、「“自分の醜く汚い部分”も、自分という存在にとって、“大切なピースの一片”なんだよ。」ということを、“心の片隅に、置いてみてほしい”のです。
 
そして、「泣き続ける“自分の中の赤ん坊を、そっと抱きしめてあげて”ください。」
 
こうして、“自分の暗部に、一歩ずつ一歩ずつ足を踏み入れ”、“紐解いていく”ことで、“女性性”に対する“嫉妬心”や“抵抗感”から、少しずつ“解放”されていくのではないでしょうか?
 
さて、小話は、この辺りといたしまて、本日のメインテーマへと、参りましょうか~!


「その“嫉妬心”、実は、“強い憧れの裏返し”かも?
“女性であることを、楽しむこと”は、“恥ずべきことではないんだよ”。」

皆さんは、日常生活を送る中で、こんなことを感じる経験はございませんか?
 
「“愛想が良く”、“周囲への気配りが上手”。その人がいるだけで、“その場が明るくなる”。」
 
「いつも、“小綺麗”にしていて、“背筋がすっと伸びている”。」
 
「“ヒラヒラ揺れるような”ロングスカートに、イヤリング。」
 
「“ヒール”を履いて、“艶髪”をなびかせながら、“胸を張っている”。おまけに、“ふわっと香る”ムスクのような“甘い香り”。」
 
少し、“ステレオタイプすぎる”かもしれませんが、このような“THE女性!”といった“雰囲気を醸し出している女性”に対し、何となく“嫌悪感”や、“抵抗感”、“反発心”を抱いてしまう。
 
更には、そのような女性を目の前にすると、「なんだか、“自信が失われていき”、“自己嫌悪に陥り”、終いには、“その場に居られなくなる”。」
 
こんな瞬間に、遭遇した経験をお持ちの方も、多少なりともいらっしゃるのではないでしょうか?
 
かくいう私も、これまで、“幾度となく、こうした場面に遭遇”してきました。
 
そして、“その度に、自己否定をしてしまう”といった、“負のループ”に陥っていました。
 
しかし、最近になって、冷静に、「この“心理”は、“どういった現象”なのか?」
 
「その“裏にあるものは何”なのか?」
 
そんなことを、分析してみたところ、“私なりのあるひとつの解”に、辿り着きました。
 
それは、そういった「自分の“女性性に自信を持っている女性”。」
 
「“性的魅力”と言うと、少し極論かもしれませんが、、、。」
 
少なくとも、「“女性である自分に満足”しており、それを“存分に楽しんでいる”。」
 
そんな女性に対する、“強い憧れ”。
 
「私も、“あんなふうに、振舞えたらいいのに”。」という“願望の存在”でした。
 
でも、「自分は、“どう足掻いても、そうはなれない”。」
 
なので、その“鬱憤”が、“嫉妬”という“最も醜い感情”として、現れていたのです。
 
ということで、少し話題は変わりますが、、、。
 
ここからは、今回のテーマである「“自分の中に、眠らせている女性性”との“付き合い方”」にちなみまして、“月経に関するお話”を、少しさせてください。
 
少し“私個人的なエピソード”になりますが、しばし、耳をお貸しいただけますと幸いです。
 
私は、先日、27歳にして、“初めて、産婦人科というところへ、足を踏み入れました”。
 
「“なぜ、そこへ、行くことになったのか?”」“受診の目的”はというと、“重いPMSの相談”のためでした。
 
“PMS”に関しては、“女性の方”は、“耳にしたことがあったり”、“詳しい方”も、“多いのではないか”と思われますが、、、。
 
ここで、簡単に、説明しますと、一般的には、次のような“認識が浸透”しているようです。
 
“PMS”とは、“Premenstrual Syndrome”の略語で、日本語では、「“月経前症候群”」と訳されている。
 
その症状は、“月経前の3~10日間”ほど、続く“身体”や“心”に起こる“不調”というように、定義づけられています。
 
具体的な症状として、まずは、“精神的な症状”から。
 
“代表例”としては、以下のようなものが挙げられるそう。
 
「“イライラ”して、怒りっぽくなったり。はたまた、“突然、泣きたくなったり”といった、“情緒不安定”。」
 
「“憂鬱な気分”が続き、“頭がぼ~っとし、集中できない”。」
 
また、それとは逆に、「常に、“心が張り詰め、落ち着かない”。 etc.」といったもの。
 
続いて、“身体的な症状”としては、どのようなことが起こるのかというと…。
 
「“日中の眠気”や、“不眠”。それに伴う“頭痛”や、“腰痛”。」
 
「“のぼせ”や、“手足のむくみ”。“胸が全体的にはっているような痛み”。」
 
「“下腹部のはり感”や、疲れやすく、“身体全体重が重だるい”感じ。」
 
「“肌荒れ”や“ニキビ”。それに加えて、“体重増加”。」などなど…。
 
あくまで、今、挙げさせていただいた症状は、“ほんの一部にしかすぎず”、まだまだ、“知られていない部分”もあるはずです。
 
“現れ方も、人によって、まちまち”なものですよね。
 
ちなみに、“私の場合”はというと…。
 
まず、一番強いのが、“ブラックホールのような虚無感”。
 
「私は、“誰からも、必要とされていない”。“何のために、存在しているのだろう?”これから、“どこへ向かおうとしているのだろう?”」
 
とっいった、“強い孤独感を伴う浮遊感”。
 
何の当てもなく、“ただ彷徨う感覚”。
 
そして、やってくる“酷い無気力”。
 
「誰か、“自分という存在に、丸をつけてくれる人”を“探し求めては、疲れ果てる”。」
 
または、「そういう“相手が見つかったとしても”、常に、“見捨てられ不安”が付きまとう。」
 
だから、「まるで、“赤ちゃん猿が、母親に抱きつくように”、必死で、“しがみつこう”とします。」
 
ですが、“月経前には、その力も出ません”。
 
終いには、“無性に腹が立ち、物や、人に当たりそうになってしまいます”。
 
その“トリガー”は、本当に、“些細なことで、予測がつきません”。
 
まるで、「自分が、“地雷”、もしくは、“時限爆弾”になったかのような気持ちです。」
 
“身体の面”でも、「“日中の眠気”や、“酷い倦怠感”。“腰痛”に、“肩こり”。」
 
「“顔だけが、火照るように熱く、手足は冷え切っている”。時折、訪れる“立ち眩み”。」
 
そして、「“謎の食欲”。特に、“甘いものへの渇望”。極めつけは、“憂鬱な白ニキビの発生”。」などなど…。
 
今回だけでは、“紹介しきれないほどの現象”が、この時期になると、“降って湧いてきます”が、それらの中でも、私が、“一番辛いのが、情緒不安定の症状”。
 
これまで、「必死に、“張り詰めていた糸が、プツンと音を立て、切れた”かと思うと、“溜め込んでいた感情たちが、一気に流れ出す”感じ。」
 
まるで、「“自分が自分ではなくなってしまうかのような恐怖”。」
 
とにかく、“心の中が、グチャグチャ”になっていき、次第に、“思考が働かなくなる”。
 
「“誰かに、この感情を、キャッチしてもらいたい”…。 泣」
 
こうして、“毎月、訪れる大波”に耐えかね、“勇気を振り絞り、産婦人科の門を叩いた”のでした。
 
訪れたのは、“就労移行支援の担当職員さんから勧められたクリニック”。
 
“未知の世界”に、“おののきつつ”、“おずおずと”、扉を開いて、中へ入ると、そこに広がっていたのは、“明るく清潔感のある空間”。
 
「窓からは、“暖かい日差しが差し込み”、“観葉植物”が、所どころに置かれている。」
 
「“待合室の座席の配置”も、ゆったりと、“ゆとりがあり”、“適度に、距離が保てる”よう配慮されていた。」
 
特に、“印象的”だったのが、“診察室前の壁に、飾られてあった一枚の絵”。
 
「誰か、“アーティスト”の方が描いた絵なのだろうか?」“アクリル絵具の鮮やかな色彩”には、惹きつけられるものがあり、診察前の“緊張を和らげてくれた”。
 
このように、兎にも角にも、“私にとっては、心が落ち着く”、とても“居心地の良い雰囲気”が広がっていたのです。
 
“お医者様”を始めとし、“看護師さん”や、“スタッフの方”まで、“皆、女性である”という点も、“個人的には、安心できるポイント”でした。
 
そんな、まるで、“美容院”や、“おしゃれなカフェ”のような、“カジュアルな空間”に、これまで、私が、“産婦人科に対し抱いていた偏見”が、ひらりと“覆されました”。
 
これまでというもの、恥ずかしながら、“産婦人科と聞くと”、「これから、“出産を控えた幸せそうな女性たちが行く場所”。」
 
といった、これまた、“捻くれ心”からくる“歪んだイメージ”が、私の中で、つくられていました。
 
そうした“メンタルブロック”もあり、“月経に関する相談”で、受診することに対し、“二の足を踏んでいた”のです。
 
しかし、“いざ、足を踏み入れてみると”、自分と“同年代くらいの女性”や、自分よりも、もっと“若そうな世代の患者さん”までいらっしゃり、「“無駄な心配”だったな。」と、“胸をそっと、撫で下ろした”のでした。
 
そして、この日、受けた検査は、“子宮のエコー検査”と、“おりもの検査”のふたつ。
 
検査結果は、どちらとも、“特に大きな異常は無し”。
 
ただ、ひとつ、“不安点”として、「“排卵しにくい体質”だとか。」
 
「“ホルモンが、上手く分泌できていない可能性”があるとのこと。」
 
「とにかく、“女性の身体に、ストレスは大敵”だから、“我慢はしなくてもええからね”。」
 
「“生理痛も、我慢せんでええ”。辛かったら、“お薬にも、上手に頼りなさいね”。」
 
と、“お年を召された快活そうな女医さん”は、“目尻に皺を寄せながら”、“はきはきとした明瞭な声”で、そうおっしゃられました。
 
その後は、“PMSの症状に効く”として、“低用量ピル”の説明を受け、「一先ずは、“経過観察”をしてみよう。」ということで、この日は、帰途に就いた。
 
この日は、“初めての経験の連続”で、家に帰ると、“どっと疲れが押し寄せ、眠りこけてしまった”。
 
私は、この日を境に、“自分自身のケアを、少しずつ意識するように”なった。
 
これまでは、“自分のデリケートゾーン”なんて、“じっくり見たこともなかった”し、「そんなことをするのは、“なんとなく後ろめたい”。“恥ずかしいことだと思い込んできた”。」
 
だけど、検査で、“自分の秘部と対面”したとき、「“自分は、女性なのだ”。」と、改めて、“自覚する”ことができた。
 
そして、そのとき、“初めて”、“自然と”、“自分の中に閉じ込めてきた女性性”を、“素直に受け入れられた”気がした。
 
そんな、「自分に、“与えられた女性という性”を、“大切にしよう”。」と、心から思えた。
 
これまでの私は、心のどこかに、“性というもの”に対する“抵抗感”や、“反発心”があったのだと思う。
 
だからこそ、“自分の性を受け入れ、楽しんでいる人”のことが、本当は、“心底、羨ましかった”のだろう。
 
だけど、「これからは、少しずつ、“自分の性というものを、楽しんでみよう”。」そう思う。
 
何も、「“それを売りにして、男性と遊ぶ”というわけではない。」
 
「“自分のデリケートゾーン”について、“肌や髪を知るように、よく知り”、“丁寧にケア”する。」
 
「“スキンケア”をするのと“同じ感覚で”。」
 
「なぜなら、“そこは、自分の大切な顔のひとつ”なのだから。」
 
そうすると、自然と、“内側から、自信が湧いてくる”ように感じております。
 
“自惚れではなく”、“自分が、自分に包み込まれているような感覚”です。
 
ですので、「どこか“自分の性というものを、抑圧している気がする”。“女性なのに、女性性に対して、嫌悪感”を抱いてしまう。」という方は、まずは、“自分自身と深く繋がり”、“本当の声を聞いてあげる”ことから、始めてみると良いかもしれません。
 
そして、“忘れないでいただきたい”のが、それが、“どんな声であっても”、“否定せず、寄り添ってあげてください”。
 
それが、「“本当に、自分に優しくする”。」ということなのではないでしょうか?
 
さてさて、本日のお話も、ここまでとさせていただきますね🍀 
 
長らくお付き合いくださった皆さん、いつもいつもありがとうございます💛 
 
この頃は、“雨の日”も増え、いまいち“はっきりしない天気”が続いておりますね💦 
 
皆さんは、いかがお過ごしでしょうか~?“低気圧”に、やられておられませんか?🌀 
 
もうすぐ、“憂鬱な梅雨”がやってきますが、“その時期は、その時期なりの楽しみ方”を見つけつつ、“ゆるゆると”乗り切って参りましょう~🌞 
 
それでは、また、次回、お会いしましょう~👋 

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