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休職中日記#3「がんばらないことをがんばりたい」

「がんばります。」
「がんばってね。」
「今日もがんばろう。」

なんて。
「おはよう」やら「またね」やら、
「かしこまりました」なんて言葉と同じレベルで
日々、私の日常に溢れていた単語。

休職するその日まで、口癖のように口にしていた言葉。


社会人になってからというものの、
これまで、どんなことにも「がんばる」ことが
自分の中で当たり前になっていた。

営業成績のノルマを追いかける月末。
大事な会議のための、果てしなく細かい資料作成。
部内の忘年会のセッティング。
誰得?な席順のソンタク。

何者かになりたくて、人に認められたくて
常にがんばっていないと、どこか不安だった。

「いつもがんばってるね」
「これからもがんばって」という言葉が、
自分にとって、最上級の誉め言葉だった。



休職して、時間が有り余るようになった今、
「がんばる自分」がポッキリと折れて、
いなくなってしまった今。

自分を支えていた自信って、
なんて脆く弱いものだったのかと気づかされる。

吹けば飛ぶような自信と一緒に、
「生きてていい」という感情も、
一緒に消えてなくなってしまった。


今日も、kindleをザッピングしながら、
ふと目にとまった本を読んだ。

著者:ハ・ワン
書名:あやうく一生懸命生きるところだった

会社を辞めるまで、がんばり続けた筆者が、
退職後、自分の人生を見つめ直し、
あえて「がんばらない」を貫く。
そんなエッセイ。


この本が目に留まったのはたぶん、
今の自分の状況に似たゆるいイラスト(無論私はパンツ一丁ではない)と、そのタイトルのニヒルな文言が、
休職中に至ってもなお、「がんばらないと」の呪文から離れられない自分に、どことなく刺さったからだ。と思う。


筆者のありのままの言葉と、
巷に溢れる「がんばることこそ美徳」な本とは真逆の趣旨に、なんだか、心が軽くなる。


特に心に残ったのが、「自尊感」に関すること。

ダメな自分を認めてから、逆に自尊感が向上した。
 …(中略)…
 自分が何者でもないと認めてから、自尊感が普通レベルに向上したというのだから、人生とはやはり皮肉なものだ。」

「自尊感が高い人ほど成功すると言うが、ムリに高めようとするのはおすすめしない。自尊感とはそうやって高まるものでは絶対にないはずだ。
自尊感とは、ありのままの自分を愛することだから。

そうだよなぁ。本当にその通りだ。

これまで私は、自尊感や、肯定感が欲しくて、
人に認めてもらうことで、
なんとか自分を保ちたくて、
「あるべき自分」「求められる自分」を追い求め、がんばっていた。


その結果が、どうだ。


がんばり屋さんの虚像が崩れ去った今、
自分に対する自尊感情なんて、
「こんな自分でも、まぁいいか」な感覚なんて
これっぽっちも、微塵もないのだ。

がんばる方向を間違えていた。
自分で自分を脆くしていた。

ああ…なんて、不甲斐ない。


著者は、巻末のエピローグにこう綴っている。

一生懸命生きるのはつらい。それは我慢の人生だから。
…(中略)…
同じ人生、どうせなら「一生懸命」より「楽しく」のほうがいい。
…(中略)…
天才は努力するものに勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない。

つまり、「がんばる」という行為は
結果を求めて耐え忍ぶことであり、

どうあがいても、その過程を「楽しむ」ことと
それをしている人には、到底及ばないのだ。

成果を追い求めてがんばる人は、
いつか、その過程で折れてしまうかもしれない。

対して、楽しむ人は、その過程に夢中になる。
いつの間にか、後ろに成果が積み重なっている。

そういうもの、らしいのだ。


私も、すっかり忘れていた。

楽しむこと。
がんばらないこと。
成果に飛びつくのではなく、過程を楽しむこと。

今日という日も、明日からの毎日も
他人のためでも、組織のためでもない

たったひとつの、自分のための、
長い長い人生だから。

だから私は、今日から、
「がんばらないこと」を、一生懸命がんばりたい。


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