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【文学講座参加メモ】奉教人の死 芥川龍之介

奉教人の死、久しぶりに読み返したのですが、やはりいちばんの問題は、「ろおれんぞ」が・・・だったという結末ですよね。次の講座のテクストなので、参加する前に整理しておく。

作品の時代背景

 本編のあと、「二」に記されている「れげんだ・おうれあ」の上巻には「慶長二年三月上旬鏤刻也」とある。慶長二年は1597年であり、ちょうど二十六聖人殉教があった時期と重なっている。
 1587年に秀吉によって出されたバテレン追放令は、布教の禁止のみで、信仰は禁止されなかったとのこと。


おもな登場人物

ろおれんぞ
 あるクリスマスの夜、長崎のえけれしや(寺院)「さんた・るちや」の戸口に、飢え伏せっていた美しい少年。素性を訊ねられるも故郷は「はらいそ」父の名は「でうす」と煙に巻いて本当のことは明かさない。奉教人衆の誰もが認める信心の堅固さで、天童の生まれ変わりであろうとも言われる。

しめおん
 いるまん(法兄弟)で、ろおれんぞを弟のようにもてなす。ろおれんぞが女のように清らかであったのに相反して剛力、元は大名に仕えるしかるべき身分の武士だった。ろおれんぞと傘張の娘の噂を心配し、疑い、問い詰める。

傘張の娘
 キリスト教の信徒。ろおれんぞを慕って恋文なども送り、噂になる。ろおれんぞの子を孕ったと父に打ち明ける。

傘張の翁
 キリスト教の信徒で、傘張の娘の父。ろおれんぞの過失を訴えた結果、ろおれんぞは破門される。


ろおれんぞの信仰心

 ろおれんぞが奉教人として深い信仰心をもち合わせていたことは、破門され乞食に身を落としたあとも、さんた・るちやへ夜な夜なやってきて祈りを捧げる姿から一目瞭然だ。信徒である傘張の娘と軽率に関係をもったりするだろうか?・・・と考えると、そこに何か仕掛けがあるのだなということが分かる。
 大火事の晩、娘の産んだ女の赤子を助けに火中に飛び入ったろおれんぞは、息も絶え絶えに娘の懺悔を聞いている。やはりろおれんぞの罪ではなかった。注目したいのは、ろおれんぞが赤子を助けようと燃え盛る火の中へ入っていったのを見た奉教人衆(と傘張の翁)の様子だ。

なれどあたりにおった奉教人衆は、「ろおれんぞ」が健気な振舞に驚きながらも、破戒の昔を忘れかねたのでもござろう。たちまちとかくの批判は風に乗って、人どよめきの上を渡って参った。と申すは、「さすが親子の情あいは争われぬものと見えた。己が身の罪を恥じて、このあたりへは影も見せなんだ『ろおれんぞ』が、今こそ一人子の命を救おうとて、火の中へはいったぞよ」と、誰ともなく罵りかわしたのでござる。これには翁さへ同心と覚えて、「ろおれんぞ」の姿を眺めてからは、怪しい心の騒ぎを隠そうずためか、立ちつ居つ身を悶えて、何やら愚かしい事のみを、声高にひとりわめいておった。
ーちくま日本文学002 芥川龍之介 pp.200-201

 奉教人衆が娘の懺悔を聞くのはこの後である。さらに、ろおれんぞの焦げた衣から乳房があらわれたことで、彼(女)の潔白は今度こそ証明された。この場に居合わせた全員が、これまでの自らの行いの間違いを知り、「風に吹かれる穂麦のように、誰からともなく頭を垂れて、ことごとく『ろおれんぞ』のまわりに跪いた」のだった。ろおれんぞが乞食に身をやつしても、誰も哀れみをかけなかった。

火事への各人の反応

しめおん・・・火の中に入ろうとしたが、あまりの火勢にできなかった。「これも『でうす』万事にかなわせたもう御計らいの一つじゃ。詮ない事をあきらめられい」

ろおれんぞ・・・「御主、助けたまえ」と猛火へ突入。

奉教人衆、傘張の翁・・・ろおれんぞの信心も知らないで、罵りかわした。

傘張の娘・・・一心不乱に祈り、ろおれんぞが横たえられると「こひさん」懺悔をした。


ろおれんぞはなぜ性別を隠したのか

 これこそがこの作品で最も掘り下げられるべき問題だろう。ろおれんぞが傘張の娘と噂になったとき、艶書を拾ったしめおんはろおれんぞを問いただした。

なれど「ろおれんぞ」はただ、美しい顔を赤らめて、「娘は私に心を寄せましたげでござれど、私は文を貰うたばかり、とんと口を利いたこともござらぬ」と申す。なれど世間のそしりもある事でござれば、「しめおん」はなおも押して問い詰ったに、「ろおれんぞ」はわびしげな眼で、じっと相手を見つめたと思えば、「私はお主にさえ、嘘をつきそうな人間に見えるそうな」と、咎めるように云い放って、とんと燕か何ぞのように、そのままつとへやを出っていってしもうた。
ーちくま日本文学002 芥川龍之介 pp.193-194

 この後すぐ、ろおれんぞはしめおんの首に抱きついて、「私が悪かった。許して下されい」とだけ言い残して逃げ去っていく。ろおれんぞは、自分を弟のようにかわいがりいつも一緒に行動するうちにしめおんを慕うようになり、三年経つうちに恋心すら抱いていたのだと思う。だからこそ、女だとばれてはいけなかった。

 しめおんはしめおんで、ろおれんぞを本当にかわいがっていたので、欺かれたという腹立たしさから彼(女)の顔に拳をふるいさえした。しかしろおれんぞがさんた・るちやを追い出され、傘張の娘が子を産むと、その子をろおれんぞの形見として頻繁に訪れる。ほかの奉教人衆と違って、しめおんだけはろおれんぞをいつも気にかけている様子がわかる。火事のとき、子どもは諦めるつもりだったが、梁の下敷きになったろおれんぞを助けるためには炎に身を投じた。

 こと切れるとき、ろおれんぞは「『はらいそ』の『ぐろおりや』を仰ぎ見て、安らかなほほ笑みを唇に止め」ていた。これはキリスト者として死にゆく自分と、しめおんが自分のために祈り、助け出してくれた女としての喜びと、その両面が現れていると私は読む。

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