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映画レビュー「手」(2022.9.16公開)

この映画を観ようと思ったのは予告編に惹かれたのと、松居大悟監督の作品であるというのと、金子大地が出演しているのと、いくつか理由があった。
日活ロマンポルノ50周年記念プロジェクトでは3作の映画がリレー形式で公開されることになっているらしく、その第一弾が山崎ナオコーラの小説を原作にした本作「手」であるとのこと。



主人公の寅井さわ子(福永朱莉)はおじさんとばかり付き合っている25歳の会社員。仕事に没頭するでもなく、街ゆくおじさんの写真を撮ってはスクラップ帳にまとめたり、実際におじさんとデートしたりして日々を過ごす。
はじめは「えー、ちょっと気持ち悪い…」と思ったが、さわ子と過ごすおじさんたちを見ているとそれぞれ個性があっておもしろいし、「かわいい」と繰り返すさわ子のモノローグを聴いていると何だか当たり前に受け入れられてしまうから不思議だ。
これらのおじさんのほとんどが、若いさわ子にがっつくのではなく、年長者のリードがありながらも対等に接しているように見えたせいだろうと思う。

さわ子には父母妹がいるが、父とは折り合いが悪い。いっぽうで高校生の妹は父ととても仲がいい。かといって姉妹の仲はよいのだが、「うちは三人家族みたいなもの」と話すさわ子の疎外感は確かに伝わってき、それを埋めるためにおじさんに走っているのかなとも思う。
(ほかに印象的だったシーンとしては、さわ子が初めてセックスをした彼氏だった人と再会して、同じカラオケボックスでもう一度セックスをするシーン。彼にはもうすぐ子どもが生まれ、妻の実家のほうへ移るために町を出ていくことになっている)

そんなある日、急に接近を試みてきた同僚の森(金子大地)は、自分の転職を機に飲みに行きませんかとさわ子を誘う。はじめはぎこちなかった二人もすぐに男女の関係となる。

ここで突然ですが、きゅんが止まらなくなったシーン紹介(全部)。

・二人きりで残業(森のさわ子への好意がだだ漏れ)
・仕事のあと二人でこっそり飲みに行く
・手繋ぎでダッシュ
・送別会でさわ子の目の前の席に座る森
・掘りごたつ式のテーブルの下、足で足を触る森
・最初は逃げてるさわ子、結局戯れ合ってるふたり
・タクシーで同じ方向じゃないのに「同じだよね、乗って」
・大きい交差点の傍ら、へりに腰掛け明け方まで缶ビールで二次会
・からのキス
・ラインで森からアプローチ
・森の部屋で鍋からのセックス

ここまでの流れが完璧すぎて、見ていて楽しすぎて幸せ。手を繋ぐとき、キスをするとき、“性的同意”というワードが頭をよぎるくらいには、森はさわ子に確認してから行動にうつす。
お互いの気持ちいいところ、触り方、森はさわ子に確認していく。さわ子も応えていく。このあたりのやり取りも自然かつ完璧なのだ。「セックス極めてこ」とメモ帳に記録していく。1回目、2回目、3回目…

ロマンポルノのルールでは、10分に1回の性行為シーンを作るというのがあるそうで、だからわたしたち観客も10分に1回の性行為シーンを観たわけだ。何と言えばよいのか、どのセックスもいたって自然で本当にリアルだと感じた。ちなみに女性客や若いカップル、友人同士で観にきている人もたくさんいた。演じている人たちや撮り方のせいなのか、全然気まずくないのが不思議だった。
異色だったのが、さわ子の妹ユリが彼氏と初めてラブホテルに行き、セックス中に姉に電話をかける(なんと彼氏にも変わる)というシーン。これには笑ってしまった。なんて解放的な妹なのか。だけど「良い姉妹じゃん」と少し羨ましくも思った。

森はその日、さわ子に自作の詩を書いたと打ち明ける。それは拙いと言い切ってしまえるような短い詩だったが、さわ子のことが好きだという気持ちが伝わってくる嘘のない詩だと思った。
それなのに、詩が入っていた箱の中に覗いていたのは、さわ子が書いたのではない「28歳おめでとう。これからもずっと一緒にいようね」のメッセージカードだった。

森は送別会の日に朝まで過ごした交差点で、さわ子に謝罪をしたうえで「もう会えません」と告げる。触り方が変わったと彼女に疑われている、完全否定しているのでバレてない、彼女にプロポーズする、と泣きそうになりながらクズ男らしきセリフを吐く。
この日さわ子は誕生日だった。「最後に誕生日だけ祝わせて」。駄目押しか。でもなぜだろう、森のことダサいとも憎いともクズだとも思えないのは。
(そして家にあったケーキの箱は。)

たまらないのは、後日森の部屋に最後にさわ子が訪れるのだが、その前に立ち寄ったクレープ屋でのワンシーンだ。もちろんお店のおじさんはさわ子と森をカップルだと思い、「彼氏にもサービス」「お幸せにね」と声をかける。戸惑う森の表情と、恋人を演じて「はい!」と返すさわ子の表情の対比が切ないのだ。
(そしてセックス記録メモを「ごめん、捨てちゃった」と言われたときのさわ子の気持ちが。何回目かわからなくなるくらい、身体を重ねていたことは事実なのに。)

森と別れたさわ子は、特に関係が深かったおじさんたちに会いに行く。職場の上司でもある大河内さんとも旅行に出かけ、それを最後にすると告げる。そして、父と娘の雪解けのようなラストが訪れる。この映画を名作にしているのは間違いなくここの要素だと思う。
はじめは金子大地のセックスが見たいというスケベ心で観に行った「手」。主演の福永朱莉さんもすばらしければ、脇を固めるおじさんたちも全員良いし、家族もいい。金子大地は森という役を完璧に乗りこなしていて、鎌倉殿の13人で見せていた悩める若き源氏の棟梁(源頼家)の演技とはまたちがった魅力を知った。

森との関係においてもおじさんとの関係においても、さわ子が受け身なわけではなく、「共同作業ですよ」という姿勢が最高で、だからこそ自分が森の本命ではなかったという事実は彼女を余計に傷つけているような気はするものの、それでもこの映画を観ても嫌な気持ちにならないのは、さわ子という女性のキャラクターによるものかもしれない。

おじさんになった森さん、見たかったな。という言葉は、森に残り続けるだろうか。ずっと残っていてほしい。

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