モンテッソーリとインターネット授業の互換性考察

以前モンテッソーリとUXについて日記的な物を書いたことがあります。UXを仕事とし、またインタラクションデザイン修士の学生として、このCOVID-19パンデミックの中で、改めて考えてみたいと思っているところです。

さて、我が家の娘はモンテッソーリ校に通っていますが、COVID-19パンデミックの影響で学校へ物理的に通うことはできません。ロックダウンの翌日からオンラインクラスが始まったので、かれこれ1ヶ月以上、オンラインで授業を受けています。しかし、モテッソーリ教育とオンラン授業は本来、あまり互換性がありません。

オンラインでのモンテッソーリ教授が難しいわけ

モンテッソーリ教育環境を自宅に再構築するのが難しい
モンテッソーリ教育現場では、環境がとても重視されています。教室のレイアウトや教具は、子供たちの自主性を引き出すために考えられ、整えられています。誰もが自宅でこれを再現できるわけではありません。

オンラインだと個人作業ができない
モンテッソーリ教育では、それぞれの子供の進み具合に合わせて、一人または小さなグループで作業をする、というスタイルをとっています。ですので、オンラインで10人、20人が同じチャンネルで同時に先生から教わる、というのは、全くモンテッソーリ的ではありません。普段は別々の進度の子供達が一緒にされるので、簡単に感じる子も難しいと感じる子も一緒にいることになります。また、基本的に先生が子供たちに順番に当てる、一般的なマス授業の形式に近くなりますので、オンライン授業だと何かの作業に没頭する、ということが難しいようです。

オンラインでは自分で何を学ぶか決めるのが難しい
モンテッソーリの学校では、子供たちが自分で何を学ぶか決めて学びます。ですので、クラスの全員が基本的に別々のことをしています。オンライン授業ですと、普段学校に行って、今日具をみて「今日はこれをやろう!」というように自主的に学ぶ物を決める、ということができません。

手にとって使える教具がない
モンテッソーリといえばきれいな教具を思い浮かべる方も多いかと思います。モンテッソーリ教具は美しく、かつ子供たちに「触りたい」「やってみたい」と思わせる物です。しかし、家庭であんな教具は揃えられませんので、オンライン授業では、プリントした物を切って教具代わりにしています。

オンライン授業だと自分で始まりと終わりを決められない
モンテッソーリでは、子供が何かを学び始めたら、基本的には本人が「終わり!」と決めるまで終わりません。学び切ったと思って終わりにするか、疲れた、と思って終わりにするかは人それぞれでしょうが、普段学校では「はい今は国語の時間ですから全員国語、今やってるのは中断」みたいなのはあまりありません。オンライン授業だと、何時から何時までがなんの授業、と決められていますので、始まりと終わりを自分で決めることができません。

問題は自主性が削がれること

教具や環境は、できる限りでいいと思うのですが、オンラインます授業の問題は自主性が削がれることです。いつからいつまで何を学ぶのか、ということを自分で決めることができず、与えられたタイムスケジュールで、仮に本人の理解が追いついていなかったとしても、タイムアップになったらおしまい、となってしまうのです。

私にとってモンテッソーリの一番素晴らしい点のひとつに「自分で何を学ぶのかを決め、始まりも終わりも自分で決める」というのがあるので、これがなくなってしまうことに危惧を感じています。

もちろん、生粋のモンテッソーリアンである先生方もこの問題についてはすごく考えているようで、今後数週間をかけて、自主性を伸ばす、本来のモンテッソーリに近い物をオンラインで再現しようという計画になっています。

オンライン授業が当たり前の日常で自主性を伸ばす(あるいはキープする)には

世界中の子供を持つ親たちが、オンライン授業による親の負担(授業や宿題のサポート)で悲鳴をあげていますが、私にはあまりそれがありません。それはやはり、自主性を重視するモンテッソーリだからなのかな? と思っています。

スケジュールの自己管理
どのチャンネルで何時からどの授業があるのか自分で管理して、授業に参加する。親が手伝ったり、ほら授業の時間だよ、とか教えたりしない。管理方法としては、毎朝先生が何時からどのクラスに参加かいってくれるので、それを自分でノートに書き、タイマーをセットする。

環境の整備
机を与え、授業で必要になるものは全て置いておく。授業中に「ママ、あれとって」とかいうことのないように。環境整備作業は本人中心に行い、本人がどこに何があるかわかっている状態にする。

自主的に学ぶことを決める
これは娘の学校ではまだ実現できていないのですが、今後数週間で可能にする方向だそうです。具体的にどのようにするのかは分かりませんが、先生の数が増え、先生の常駐するチャンネルができ、こどもたちは自分で学ぶことを決めて、先生に質問しに行ったりする、という感じのようです。

コンピュータとのインタラクションにおける課題

モンテ的コンテキストでみる、コンピュータとのインタラクションにおける課題も山積です。

1:多数がモンテじゃない
現在Zoom等を使って行われている授業ですが、先生から見ると10人とか20人の子供達の顔が、四角い枠に並んでいる状態になります。この1:多数、という構図がもはや全くもってモンテッソーリではない。

先生から子供たちを観察できない
モンテッソーリの先生たちの仕事は教えること以上に「観察すること」にあります。モンテッソーリ教師の勉強始めるととにかく、観察し続けることを求められます(実際子供の観察ノート的な物をつけるのが先生たちの日常タスク)。しかしこのオンラインます授業では顔しか見えません。子供たちが実際に作業している手元も見たいし、何をぶつくさ言っているのかも聞きたいし、体をどんな風に揺すっているのかもみたいです。でも、それができない。

子供達が他の子を観察できない
前述のことと同じですが、子供たちは同じ授業を受けている他の子が何をやっているのか観察できません。また、通常教室はオープンスペースですので、自分と違う年齢グループの人たちが何をやっているのかをみることもできます。「お兄さんたちはあんなことをやってる、自分もやってみたい!」みたいなインスピレーションを得ることがオンライン授業ではできません。他のチャンネルで何が行われているのかは全く見えない。

まとめ

今まで述べた通り、モンテとオンライン授業はあまり互換性がありません。しかし、娘の学校は毎日何時間も授業があり、先生たちも改善を重ねてモンテ環境をミミックしようと試行錯誤しています。

現段階では「モンテとオンラインは無理」と諦める選択肢はなく、いろいろな制限のある中で、モンテ的な学びを、どうやってオンラインの世界で再現するのか、というのは非常に興味深いチャレンジだと思っています。

まだ考え始めたばかりで、問題点を並べるにとどまっていますが、忘れたくなかったのでメモしておきます。

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