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大阪ミュージアム感想本サンプル&通販リンク+DL

サンプルです。記事の最後に電子書籍データ(有料)の配布があります。


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以下、文字サンプルです。
noteは見出し機能が2までしか使えないので見出しは実際とは異なります。

目次

はじめに

この同人誌のねらい 5
用語集 7
ミュージアムと大阪

「異界彷徨―怪異・祈り・生と死」 大阪歴史博物館 10
「大阪の長屋」 大阪くらしの今昔館 14
「天神祭と都市の彩り」 大阪くらしの今昔館 17
「FROM OSAKA~百貨店美術部モノガタリ」 高島屋資料館 19
くすりの道修町資料館 21
堺市博物館 24
「万博と仏教―オリエンタリズムか、それとも祈りか?」 高島屋資料館 27
ピースおおさか 30
府立狭山池博物館 33

ミュージアムと異文化

「ラテンアメリカの民衆美術」 国立民族学博物館 36
ピーター・シスの闇と夢 市立伊丹ミュージアム 39
大阪コリアンタウン歴史資料館 42
「モラヴィアン・ドリーム! アルフォンス・ムハ」 堺アルフォンス・ミュシャ館 45
「交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界」 国立民族学博物館 48
「カナダ北西海岸先住民のアート――スクリーン版画の世界」 国立民族学博物館 51
ミュージアムと現代作家

「ホーム・スイート・ホーム」 国立国際美術館 54
「現代作家が描くクレパス画 クレパスの新しい地平」 サクラアートミュージアム 57
「冨樫義博展–PUZZLE–」 グランフロント大阪 59
ミュージアムと日本

「民藝 MINGEI―美は暮らしの中にある」 大阪中之島美術館 62
「超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA」 あべのハルカス美術館 66
「高野光正コレクション 発見された日本の風景」 大阪高島屋 68
「恐ろしいほど美しい 幕末土佐の天才絵師 絵金」 あべのハルカス美術館 71
ミュージアムでのイベント

プラネタリウム 「シン・宇宙望遠鏡 ~ジェームズ・ウェッブ~」 大阪市立科学館 73[newpage]
「シンポジウム 日本で暮らす―生活の中で気づく文化の違い」 大阪国際交流センター 75
「『装剣奇賞』の世界―江戸時代の刀装具と根付」 大阪歴史博物館 78
プラネタリウム「土星~白い氷が彩る世界」 大阪市立科学館 80
おまけ

作者あとがき 83
同人誌制作にお借りした素材・印刷仕様 84
宣伝 85


この同人誌のねらい


この同人誌の目的
この同人誌は、「大阪市から日帰りで行ける美術館・博物館・資料館などに行って見た感想をまとめた本である。
主にnoteという文章投稿サイトに掲載したものを、参考URLを添えつつ加筆修正している。
2022年は映画を見る年にしよう、と思って、映画館に行ってたくさんの映画を見た。といっても、家事や用事の事情があって月2~3本程度だった。しかしその「年間の趣味」を決めるのが面白く、2023年もやろう思った。
軽い気持ちで「2023年はミュージアムを見る年」とし、せっかくなのでnoteに感想を記録することにした。
とても楽しかったのだが、同時に、文化から見える社会の問題、マイノリティの抱える困難について考えさせられる一年でもあった。同人誌のタイトルに「多様性」を入れたのは、そういう事情からだ。
私が作った同人誌を読むことによって、ミュージアムについて興味を持ってくれる人がいれば幸いである。

自己紹介・サークル紹介
本題に入る前に、おおまかに作者のプロフィールを書いておこう。
ハンドルネームはかずラという。昔、同じHNの人に出会って最後の字だけカタカナに変えた経緯がある。呼ぶ分にはかずらさんでもカズラさんでも構わない。
二次創作一次創作問わず、趣味で雑多に文章を書いている。まともに文章を書き始めたのが14歳のころなので、15年以上文章による活動をしていることとなる。
特に感想を書くことはずっと続けている。図書館に通ったりその現場に行ったりして何かしらを調べるのも好きである。
美術は専門ではないが、もともとの専門が人文系なので、ある程度の知識はある。
勉強するなら日本より海外の文化のほうが好きである。違う価値観を知るのが面白いからである。
表紙のキャラクターは看板娘や自分の代理としてとしてデザインしたオリキャラである。名前はナムという。
現実の私の見た目とは関連がない。そこはご了承を願いたい。
「らくだを針の穴に通す」というのは、二次創作をやっていた時に使っていたサークル名で、それをそのまま引っ張ってきた。

この同人誌への感想についての注意
同人誌『ミュージアムで会いましょう』の感想はインターネット上に上げてもらって大丈夫です。ただし、以下のことをお守りください。

・表紙のみであれば写真に撮ってアップしてもらってかまいません。本文の写真・スクショはインターネット上にアップロードしてはいけません。
・表紙に加工をかけたり一部を隠したりしてはいけません。
・多少中身に触れるのはOKですが、本文をすべて要約したり、要約した内容をコンテンツとして発信したりしないでください。
・差別、ヘイトスピーチを助長する内容の感想はやめてください。
・個人が趣味で作っているものなのでお手柔らかにお願いします。
・この同人誌を読むことによって生じたトラブルに対しては責任を負いません。

本文

「異界彷徨―怪異・祈り・生と死」 大阪歴史博物館
大阪歴史博物館の「異界(いかい)彷徨(ほうこう)―怪異・祈り・生と死」を見てきた。
「彷徨」とはあてもなくさ迷い歩くことを意味する。
大阪歴史博物館はNHK大阪の隣なので、どーもくんの絵や朝ドラの宣伝のパネルを横目に歴史博物館へ行く。
常設展と同じ値段で特別企画展も見られるが、常設展は何回も見たので特別企画のみ見る。

「異界彷徨―怪異・祈り・生と死」とは
「異界彷徨―怪異・祈り・生と死」とは、妖怪や怪異、信仰や呪術にまつわる展示を行い、そこから人間の営みを考えようという企画展だ。
人はなぜ「異界」つまりは目に見えない世界に惹かれ、神を信仰し、妖怪を描き、まじないを行ったのか。展示とキャプションは異界に迫っていく
主催が大阪歴史博物館なので、展示物は大阪、もしくは関西近辺にまつわるものが多い。

大阪の信仰、怪異
この展示のメインコンテンツといえば何と言っても大阪にまつわる信仰、怪異である。
観覧の途中で現れたのは、昭和15年の恵方巻の宣伝のチラシ。恵方巻は関西圏がルーツの文化だ。「にこにこ笑いながら恵方に向かって巻き寿司を丸かじりする」というのも一種のまじないだが、商人もその「まじない」に乗っかって売ろうとするところが商魂たくましい。
また、昭和15年には恵方巻の文化がすでに存在したこともわかる。

うめきたを掘り返したら白骨が出て来た、という写真パネルが示されている。うめきたとは、梅田の北側のことだ。うめきたは大阪七墓のひとつとして、見に来る人が絶えなかった。死者を葬る墓地を怖れると同時に、肝試しのような怖いもの見たさも存在していたことをうかがわせる。
大阪七墓は、その名の通り大阪にあった七つの墓場を指し、七墓巡りをすることで、功徳が積めるという風習があったらしい。
うめきたから出土した副葬品は、古代のものというわけではないのに埴輪っぽくてかわいらしさがあった。焼き物でできた服装品は、さほど劣化せずに現代に残っている。

大阪で信仰されていた神社、寺院のたぐいも紹介されている。
絵馬は神社に馬を奉納していたのを、絵の描かれた板で代用したものだ。祈りの内容に応じてさまざまな絵柄がある。昔は木材への高度な印刷技術がなかった。それゆえに絵馬の一枚一枚が手描きだ。大量に絵を描いているからかとぼけたゆるい絵柄である。
住吉大社、四天王寺などの大阪で信仰されてきた宗教施設のマップもあり、あとで巡ってみたい人はチェックしておくといいかもしれない。

現代文化にも呪術的ルーツがある
現代の風俗も、元をたどれば呪術的なルーツがあることも展示されている。
たとえばひな祭りは、今では女の子の成長を祝う行事だった。しかしままごと遊びや人形遊びには、かつては魔を払う意味があった。
私たちが今も活用している和柄文様には、魔除けの文様としての力があり、柄に応じて幸運を引き寄せたり厄を払う効果があると信じられていた。
第二次大戦中に残された掛け軸にも、呪術的意味があるのではないかということで展示されている。死んだ後も皇国の兵士としてあろうとする言葉が躍っている。
思えば第二次世界大戦中に流行した、武運長久のお守りである千人針もごりごりの呪術だ。ひとりひと針ずつ、千人が縫った布を持ち歩くと弾避けになるというまじないである。死と隣り合わせになると呪術的なものに頼ってしまうのかもしれない。
死と隣り合わせというと、瞬間的に流行してすぐ廃れてしまう信仰「流行(はやり)神(がみ)」とアマビエブームの関連性を指摘しているのも面白かった。オカルトな言い方をすると星辰(せいしん)が揃う瞬間、いろいろな偶然が重なって神と祀(まつ)りあげられる何かというのは確かに存在するよなあ。

刀剣乱舞を通ったことがある身としては「守刀(まもりがたな)、守袋(まもりふくろ)」の展示があったのが印象的だった。やはり刃物は魔除けなのか。

非実在の生き物を描く
妖怪や異形、存在しない架空の生き物についても述べられている。
たとえば狐(きつね)は実在する生き物であるが、ときに神として崇められ、ときに妖怪として忌み嫌われる存在である。
河童(かっぱ)は水難事故を起こす恐ろしい妖怪だが、人と相撲を取るなどユーモラスな一面もある。
同じ存在でも、よい面と悪い面があり、怖いものとおかしいものは似ている。
当時は実在すると思われていたが実在しなかった生き物も紹介されている。この辺はツチノコやUMAと近いものがある。今ほど博物学や分類学が進んでいたわけでもなし、見間違えの情報がずっと伝わっていたのだろう。

呪術は人のそばにある
私は結構信心のない方で、スピリチュアルな話題は好きじゃないし、神社仏閣へ願掛けもしない。行けば賽銭(さいせん)を投げるが、御利益があるとは思っていない。
展示を見て、そういう信心のない人間でも呪術的な行為をしている、と気づかされた。
正月になれば初詣(はつもうで)をするし、節分になれば恵方巻を食べる。周りの流行に流されていたものだとしても、それはまじないである。
あるいは「推し」をさも存在するように誕生日を祝ったり、アクリルスタンドやラバーストラップを持ち歩いたりすることで、心の支えとする行為も、よく考えると呪術的だ。
この展示に共通していたのは、災害・病・死などの理由のない不幸への恐れである。理由がないのが怖いから、目に見えない世界の住人のせいにして、それを祓い、あるいは神の守護を願う。
人間は理由のないことに耐えられない、というのは私が好きなYouTuberの受け売りだが、展示を見終わってその言葉を思い出した。スピリチュアル系はあまり好きではないけど、誰にでもそういう心はあると知っておくのも大事だ

この展示を受けて、大阪歴史博物館の学芸員が「異界投稿」というスペース(Twitterでのラジオ配信のようなもの)を行っていた。観覧者からの感想を募り壁に張り出した「異界投稿」だったが、そこに怪談や神秘体験の投稿がなされるようになったらしい。スペースではそれを読み上げ、人々の不思議な体験と展示とのつながりを語っていた。展示期間中に二度行われている。
私は二回とも聞いた。とても面白い内容だった。アーカイブが残らない場所で行われたため、リアルタイムで聞いていた人しか内容を知ることができないのがもったいない。
普段学芸員の方と直接話すことはほとんどないため、このような展覧会運営側と見る人がやりとりできる企画はもっとやってほしい。

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