共感しないことの大切さ #多様性を考える
私がそもそも発達障害で共感的に振る舞うのが苦手だからもあるだろうが、このところの「共感で物事を解決しようとする姿勢」が苦手である。共感してもしなくても、罪のない話題であれば共感した方がいいだろう。しかし、例えば「ホストに依存することが楽しい」というのは気安く共感してもいいのだろうか。自分の倫理を曲げてまで「ホストに依存してもいい」と言っていいのだろうか。
私は、多様性を保つ上で、「共感しないが受容する」姿勢が必要だと思っている。
「共感しないが受容する」は、相手に関心はないけれど、最低限の優しさは提供する、という意味だ。相手に関心はないが、相手には人権があり、幸せになる権利があり、この社会で生きていく権利があると認める。先のホスト狂いの問題も、「ホストに狂うのはよくない、けれどあなたを排除する権利は私にはない」ということだ。
共感をよしとしている人であれば、「無関心」が冷たく、意地悪に感じるかもしれない。しかし、相手の価値観、セクシュアリティ、国籍、文化、その全てに共感することができるだろうか。できない人がほとんどではないかと思う。共感するから受け入れる、共感できないから排除するのではなく、「今、私は相手に共感をすることができないが、それは大きな問題ではない」と思うことが大事だ。そのために相手に必要以上の興味を持たない、放っておく姿勢は重要だ。すべてをわかり合おうとすると、わかり合おうとしてくれない人を嫌いになってしまう。無駄に相手を嫌いになってしまうくらいなら、共感はいらないのである。
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