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勘違い

相手に聞かれないからと言って、自分以外の誰かを批判したり、見下したり、陰で悪口や不満を漏らしている時に、私たちは大きな勘違いをしています。

例えば、気の合う者同士で、見えないところで誰かをけなすような話をしている時、多くの場合このように思いませんか。

『私のことは、悪く言われていないはずだ』と。

みんなで特定の誰かを非難することがあっても、一緒に言い合う私のことは言われていないはず。

そのような安心感があるときに、私だけは大丈夫、私は何も言われていないと思うけれど、それは大きな間違いです。

私が100%正しいと、自分では思っていたとしても、他者をけなすようなことを言っている時は、必ず同じことを言われています。

それはどこか別の場所かもしれませんし、たまたま今私の耳に入っていないだけでしょう。

『私は正しいのだから』

そう思えば思うほど、その視野の範囲から逸脱してしまう人を厳しい目で見てしまうことがあります。

その時に、つい誰かを非難したくなったり、周りの人に共感をしてもらいたくて、愚痴を言ってしまうことがあると思います。

ただ、この時になぜ口が滑るように愚痴が出るかというと、
私が悪口を他者に向かって言ったとしても、私は誰からも悪くは言われないという自信があるからです。

ただ、それは自分の中で勝手に作り上げた自信に過ぎませんから、周りからは私が人を非難したのとまったく同じように、実は私も非難されているはずなのです。

周囲へしたことと同じことが、完全に自分のもとに返ってくるとわかっていれば、誰も他者に対して嫌なことはしません。

ですから、この大事なことに気が付いた人から、
『されたら嫌なことを他者にもしない』
ように生きるしかないのでしょう。

みんな頭ではわかっています。
『自分がされたら嫌なことは、他の人にもしないようにしようね』
とか、子供の頃、周りの大人や、学校でも先生から聞くことがあったかもしれません。

ただ、実感としてもわかりにくくはあります。
例えば、言動がまるで完全な合わせ鏡のようになっていれば、それも理解できるでしょう。

まさか、こんなにも見た目が違う者同士が、合わせ鏡のようになっているなんてにわかには信じられません。

ですから、他者は私とは切り離された存在だと思えば、相手を傷つけても、私の心は痛まないと思い込んでしまっているのです。

また、周囲で悪口や噂話を好んでしている人がいても、その人を見下したりしたら、それも結局は同じことです。

ですから、そのような状況を見かけても、

①まずは自分はしないと決めること
②そういう人を見かけても、悪口を言っているからと見下したり、その姿を批判しないこと(ただ客観的にみるだけです)
③気が付いたら、周りにも伝えていくこと、です。

あとは、伝えたとしても相手を変えようとはしないことでしょうね。

誰に何と言われていても、私はしないと断固として決めて、その後ろ姿を見せるだけでもいいかもしれませんから。

誰もが『私は正しい』と思いたいでしょう。
ただ、その正しさはそれぞれの尺度があって、正しさの範囲が広い人もいれば狭い人もいる、正しいと感じるポイントもみんな違います。

そのため、法律などで定められた基準があるもの以外で
『正しさ』をすり合わせるのは難しいと思います。

正しさの基準が合わないからと、相手を批判する行為は、結局のところ、別の人から見られた時に、自分の正しさも批判の対象になる可能性があるのです。

それに気が付く人が、一人でも増えていけば、たった一人と思われても、この世界は大きく変化していくかもしれません。

気が付いた時から、始めましょう。

あなたも、世界を変える一人になりませんか。

今日もお読みいただきありがとうございます!


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