概念を言葉に

こんばんは。今日はとても良いことがありました。
昨日の記事に補足を入れたんですけど、それについての話です。
二日連続で”言語化”についての話です。そんなことばっかり考えてるなあ

自分は今期哲学の授業をとっています。その講義では主にスピノザの思想を扱っているのですが、最近は3種類の身体の変様について説明していました。ここで言うのはとても難しいので彼らについての詳しい説明は省きます。とにかく、まさに自分が今まで言語化することのできなかった何かで、スピノザってすげえやって偉く感動したのです。
何が言いたいかわからないと思うので、この話に関係するところだけちゃちゃっとまとめます。

世の中にはなにかのコンセプト(概念)を先行して持っている人がいる。その概念をもっているから、なにか形にできた時”まさにこれだ!”と思う、という話です。
そのわかりやすい例が作曲で、コードをとりあえず弾いて試してみて、なんとなく気に入ったコード進行で進めるという方式でなく、なんとなく頭の中でメロディができた!みたいな。(?)
表象・実存に先行して本質・概念があるってことです。

ちょうど昨日公開した記事に、「頭の中で、言葉じゃなくイメージで思考していることがある」みたいなことを書いたんですけど、そのイメージでの思考というのがまさにその”概念”じゃないかなって思ったんです。
「超人の倫理」みんな読んでください。正直読んでも理解するの難しいかもしれないけど。

こんなことを言葉にできるなんて、やっぱり名を残す様な哲学者はすごいと思ったし、哲学の授業なんてものができる教授もすごいと思いました。多分教室には理解できてない人もいたけど(自分も”概念”を持ち合わせていたから理解できたのかも)、1人でも、自分自身ではない誰か他人にそれを説明できるって本当にある種の特殊能力かもしれない。

自分は結構、自分の中の概念を適切に言葉にすることができなくて、伝えることの難しさを感じつつ生きている。
もしかしたら案外、思想を伝えることを重要視していないのかもしれない。なんか、理解や共感はされなくても別にいいかなって。擦れているわけでも、自分にしかわからないと思っているわけでもなく、大抵の場合どうでも良いだけ。考えはそれぞれなように、理解できる思想も人それぞれだから。
いやでも伝えたいと思った時にできないの、本当に苦しいけどな。
はぁ、頭にソケットがあって直接何かにアウトプットできたり、インプットしたりできたらいいのに。
たぶん何に関してもどこかに同じように思っている人はいると思うんだ。
ただ頑張れば言葉にできることもあるんだなあと感動したってだけです。

あと、言語化できない概念を考え続けることができる能力は捨てたくないかもって思いました。抽象的で、一般的。
記録する手段が今のところ見当たらないっていうのが難点だけどね。

ありがとうございました。


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