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Intercultural Fluency〜自国の文化を持ちながら異文化に溶け込む

アメリカで驚いたことがある。初出勤した時のことだ。上司が私のためにドアを開けて、私を先に通してくれたのだ。日本では逆であろう。初日だからと私をお客さん扱いしてくれていたわけではないことは、すぐに理解できた。周りを見ていると、皆、他人のためにドアを開け、相手を先に通してあげている。年齢やポジションの上下を問わずにだ。二人以上で歩いているときに、日本のように自分でドアを開けて先に進む人はまず見かけない。

私は、このカルチャーにすぐに親しんだものだった。しかし自分の行動はあくまでも真似事であり、自分本来の習慣ではなかった。だから時々それを忘れて、「しまった」と思うわけだ。

ドアを開ける所作以外にも、異文化に飛び込むと、発見や驚きはしょっちゅうだ。時には失敗や誤解、言い合いにまで発展することもある。そうした体験を積み重ね、だんだんと異文化を理解できるようになる。

異文化理解には、自国文化の客観的理解が必要

そう思うようになったのが次の一件だ。アメリカに住んでいる中国人のプロジェクト・パートナーがレストランでのディナーに招待してくれた時のことだ。彼女は、とにかく食べきれないくらいオーダーするのだ。出された料理の半分も食べられない程であった。「この中華レストランのことは私がよく知っている」という彼女の自慢なのかと私は勝手に考え、あまり良い印象を持たなかった。後で知ったのが、料理や酒が余るくらい振る舞うのが、客をもてなす中国人の礼儀なのだと。

日本の感覚では、出されたものは綺麗にいただくことがマナーである。だから接待する側は、多くもなく少なくもない量を出し、足りているかどうかに気を配る。客は多すぎて残してしまうことを申し訳ないと思う。これは客に恥をかかせることだ。逆に少なすぎて満足してもらえないのは、接待する側の恥だ。お互いに恥をかかせないために気を配るのが日本の文化だ。

文化が異なれば行動様式は違ってくる。しかし、根底にある「客をもてなす」という心は同じであることを理解すれば、自分の行動を相手に合わせれば済む話なのだ。余っていることをありがたく思う(ふりをする)、それを感謝として口に出すことが相手に合わせることだったのだ。この一件が、自国の文化と相手の文化について客観的に考えるきっかけとなった。そしてそれができたからこそ、自分なりの結論を得ることができたのだ。

Intercultural Fluency モデル

普段、意識をしないのが自国の文化である。それは自分の体に染み付いていて、考え方や価値観、言動となって現れているのだ。私たちが自国の文化を客観的に観察したり理解することはまずない。自国の文化は金魚にとっての水。あって当たり前のものだからだ。

異文化に触れるということは、金魚が突然、別の金魚鉢にジャンプするのと同じで、そこの水は温度も匂いも流れも違うことにすぐに気づく。そして、異文化に驚き、戸惑い、失敗した時が、自国文化を比較対象として客観的に理解するチャンスなのだ。これによって、相手の文化を客観的に理解できるようになる。

そして自国の文化から飛び出したからこそ、それを客観的に理解できるようになるのだ。金魚鉢の水は、隣の金魚鉢にいる金魚からはよく観察できるものだ。これを理解しやすいように整理したのが下の図だ。

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異文化に触れるということは、先の例のように、自分で様々な体験をすることだ。驚きや誤解、失敗も多い。それらをきっかけに自分なりに異文化を解釈することになる。体験が積み重なってくると、相手の文化が漠然としたパターンとして見えてくる。ここまでくれば、相手の文化の根底にあるものについて、自分なりの理解ができるようになる。つまり仮説を立てているということだ。

次に大切なことは、その自分なりの異文化に対する仮説を、自国文化と比較することだ。それによって、異文化の中で自分はどうすれば良いのかということを意識することができるようになる。つまり失敗から学び、次の体験へつなげるのだ。ちなみに、この異文化の中での学びのサイクルは、発見的学習(heuristics)そのものである。発見や気づき、失敗から学ぶ姿勢が大切である。

これを繰り返していくと、だんだんと異文化を客観的に理解できるようになる。そうすればその対照としての自国文化をも、客観的に理解できるようになってくる。そしてまたその逆も真なりだ。自国文化を客観的に理解できることによって、異文化に対する気づきも多くなる。ここまでくれば、自分の文化を持ちながらも、自分の振る舞いが異文化の中に自然に溶け込むようになってくる。これこそがintercultural fluency なのだ。

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おまけ
異文化理解は自ら体験することを通して初めて可能となるが、知識も役に立つ。世界の文化を比較研究した良書を紹介しておく。私はこれを読んで、自分の職場が「グローバル」とはいえ、まだまだアメリカ文化であることを知ったし、自分が日本人の「普通」とはかなり違うことも再認識した。日本語版も出ているので、是非とも活用されたい。


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