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間違った問題を解決する無駄が時に命取りになる

前回の「解決すべき問題はどこにでも転がっている」で最後に触れたように、解決すべき(に見える)問題を見つけたなら、それが本当に解決すべき問題なのかをよく吟味し、定義し直す必要があります。

最終的に優れた問題解決は、急いで問題解決に取り組むのではなく、何が真の問題なのかをきちんと見極めることで得られるものです。それは、時間の大部分を問題解決よりも問題定義に費やすこと(急がば回れ)であったり、あるいは「枝葉末節ばかりを見るのではなく、木も見るし、森も見る」ことであったりします。賢人たちの名言をいくつか引っ張り出してみましょう。

“If I had one hour to save the world, I would spend 55 minutes defining the problem and 5 minutes finding the solution.” - Albert Einstein
”If you want a wise answer, ask reasonable question.” - Johann Wolfgang von Goethe

問題定義は問題解決の第一歩であり、結果を大きく左右するものです。ですから今回からは、4〜5回に分けて問題定義について十分に詳しく検討していきます。第一回は、間違った問題に取り組んでいる無駄が多いことを、いくつかの例をあげて見ていきましょう。

品質よりアメリカン・サイズ

Henry Fordが先駆者である生産ラインでの大量生産から始まったアメリカ合衆国の自動車産業は、自動車大国として世界をリードしていました。ビッグ・スリー自動車メーカー(Ford Motors, General Motors, Christler)が売り出す超大型の乗用車(Figure 1)や、南部ではピックアップトラックが主流でした。一方、日本の自動車メーカーが、アメリカやドイツのメーカーの見よう見まねから卒業し、品質管理手法を世界に先駆けて導入、高品質で故障知らずの製品を出荷し出したのが1970年代です。トヨタのカローラ(Figure 2)やホンダのシビックのような小型車(アメリカ人から見れば超小型車)がじわじわとアメリカで売れ始めました。カスタマーの視点からすればその理由は明白でした。アメリカ車はパワフルで格好良いが、頻繁に故障するしガタガタするし、とにかく品質が悪い。一方、日本の車は値段も安ければ、きっちりと作り込まれており、故障知らずでした。これでビッグスリーは売り上げがみるみる下がって来ました。彼らはこれを関税問題として政治問題として定義し、日本に圧力をかけましたが、良いものは良いと言う事実は変わらず、結局ビッグスリーの凋落の発端となり、いまだに回復に至っていません。

Figure 1. Typical American sedan in 1970's

Figure 2. Toyota Carolla E20 (1976). Photo by Charles01

売れない商品の品質・生産性向上

さて次に、ビッグスリーの例とは全く逆で、いくら品質が良くても失敗した例をお話ししましょう。私が以前仕事をしていた日本の工場のエンジニアリング関係の部署は、世界の他の工場と比べると圧倒的に優れた成績をあげていました。工場の成績評価項目である生産ラインの信頼性、品質、コストなどの中でも、信頼性と品質はずば抜けて優れていました。

そこでの新製品の生産ラインの設計から立ち上げ、量産開始まで、チームの素晴らしい仕事のおかげで、予測の半分の時間で信頼性と品質の目標値を達成し、量産にこぎつけました。しかし実際に商品が売り出されると、ほとんど売れない商品であることがわかったのです。つまり売れないものを一生懸命早くマーケットに出そうと努力していわけです。解決する問題はエンジニアリングではなく、商品設計そのものであったわけです。

全く新しい写真の楽しみ方

写真といえば20年ほど前まではフィルムをカメラに入れ、一本のフィルムで最大36枚撮影したら、写真屋さんに持っていき現像、プリントし、誰かに見せるのは封書で送るとかしか方法はありませんでした。だから各家庭には分厚い家族アルバムというものがありました。

Figure 3. Kodak films.

フィルムメーカーとして世界をずっと制覇し続きてきたのはコダック、日本では富士フィルムが最強でした。デジタルカメラが市場に浸透し始めたのは2002年ごろであったと記憶しています。それよりも27年も前、1975年にコダックのエンジニア、Steve Sassonが世界で初めてデジタルカメラなるものを作り上げました。それは重さが4kg、0.01メガピクセルの白黒写真をカセットテープに23秒かけて記録するというものでした。そして写真を見るには、カセットテープをコンピュータに読ませてテレビの画面に映し出すというものでした(Figure 4 & 5.)。彼は本気で開発を提案しましたが、フィルムの売り上げと拮抗することを懸念した会社はこれを封印したのです。コダックがデジタルカメラにやられて倒産に追い込まれたのは記憶に古くないと思います。

Figure 4. The world first digital camera (Photo by Eastman Kodak)

Figure 5. Playback system (Photo by Eastman Kodak)

つまりコダックは、写真はフィルムを使いプリントするもの、というそれまでの枠から出るビジョンを描けなかっただけでなく、デジタルで写真ができるようになったら自社のフィルムビジネスの脅威になるのではないか、だったら自分たちはどうすべきか、という既存の枠からはみ出た問題定義をできなかったわけです。

一方富士フィルムは、フィルムに用いられた科学技術を応用し、いまでは界面化学を応用したマルチな商品を作るメーカーとして生まれ変わっていますし、デジタルカメラもいち早く手がけました。

では、最後にこのシリーズで読者の皆さんと検討していく二つの問題をあげておきます。

- 日本の教育はどうあるべきか
- 地球の環境問題をどう解決するか

これらの定義はケース・スタディーとして次回に検討します。

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