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英語をマスターすることは異なる考え方を身につけること

前回は、挨拶という単純な場面を例にとり、言語が違えば伝えようとする気持ちが全く異なることを示しました。日本語で「お先に失礼します」「お疲れ様」と毎日言っている環境から、”See you tomorrow. “ “Have a nice day.” と毎日言う環境に移ったことを想像してみてください。あなたは、毎日長時間残業をして、仕事の後に何もできないくらいに疲れることを避けようとするでしょう。そして毎日仕事の後に何か楽しみの予定を入れるようになるでしょう。平日でもゴルフに行くとか、家族との団欒を日課とするなど。もちろん生活パターンや価値観が変わるのは周囲の人の影響も多分にあるでしょう[*]。しかし、言葉そのものが考え方や価値観に影響することは、心理学や言語学の実験で多数証明されているのです[1]。

英語をマスターし、自然な英語で話せるようになれば、あなたの価値観や考え方は変わります。「自分は英語をスラスラ話せるようになっても、自分の価値観や考え方は変えない」と思っていても変わるものです。人間は言語を使って考えているからです。むしろ、英語で話しているときに日本的な考え方をしていると、英語が通じない(言葉としては通じていても意味を誤解される)ことが多くなります。

ジキルとハイドになること

日本人であるあなたが英語をマスターすれば、日本語で会話をしている時と、英語で考えている時とで、あなた自身の考え方や価値観が切り替ります。いわゆるジキルとハイドのような二重人格になります。でも心配する必要はありません。心理学や言語学が明らかにしているように、それは全く正常なことです。私はそれを知らずに、英語モードと日本語モードでの自分が、二重人格であることに悩んだことが一時期ありました。

日本の上下関係の発想では英語は話せない

私が英語と日本語で自分が二重人格であることに気づいたのは、一年間アメリカのD社で仕事をして帰ってきた頃でした。その日本の職場はD社の技術でもって新工場を日本のS社の石油化学コンビナート内に建設したところで、新工場スタートアップのタイミングに合わせての帰国でした。その新工場は、工場長、製造部長をはじめとする幹部はS社のベテランエンジニア。彼らからラインオペレーターまで、全員が工場叩き上げのこわもての日本人ばかりでした。そこにアメリカのD社から7名ほどのエンジニアが加わっていました。

そんな環境で私は、英語では職場の上下関係を気にせず、対等に話すことができるのに、日本語だと上下関係を意識してしまい、言いたいことをストレートに言えなくなる自分に気づきました。私はすでに英語の環境に慣れていたのですが、アメリカではアメリカの環境に慣れることに精一杯で、自分の考え方や価値観が変わってきていることには気づかなかったのです。それが日本に帰ってきて気づいたということです。

ミーティングはほとんど英語でしたから、新人の若造でありながら堂々と自分の意見を述べて、製造部長や工場長と対等に議論をしました。”We should do X now!” とか “I have done this in lab scale, and tested it in Texas plant. We should do this as early as possible.” とか。ここでのポイントは ”should” です。「すべきだ」ですね。「しましょう」でも「したいと思います」でも「提案します」でもない。英語では上下関係なくこの言葉を使って主張することは普通です。

しかしこれが日本語になると話がまるで違ってきます。英語でのミーティングが終わった後、時々その部屋に日本人だけが残っていると、「でもなあ、岩田くん、そうは言ってもな。。。」などと私の主張で一旦チームとして合意したことを引っ繰り返そうという話が出てくるわけです。こう言われてしまうと私も「そうですけど、〇〇は明日やったほうがいいと思いますよ。」なんて弱腰になってしまい、結果として言い返すことができなくなる、ということが何度かありました。

日本語は「敬語」が上下の力関係を表します。お互いに対等に議論しようと思っていても、自然に出てくる言葉が上下関係を作ってしまいます。そもそも「〇〇くん」は上の者が下の者を呼ぶときに使うことばです。それに飲み込まれて “should” と言うところを「〜と思います」とトーンダウンしてしまうのです。このような自分の二重人格というか日本語では英語のように説得できない自分に腹立たしく思ったことが何度もありました。

ファーストネームで呼び合うことのメリット

上下関係か対等な関係かは、ファーストネームで呼び合うカルチャーとも大きく関係しています。英語圏では、職場でも取引先でも、ファーストネームで呼び合うのが普通です。これが対等な関係という雰囲気を作り出します。その人の能力や姿勢、人柄に対して尊敬するのであって、ポジションによって尊敬の度合いを変えるわけではないのです。しかし日本語になると、下の者は「工場長」とか「部長」とか呼び、上の者は「〇〇君」と呼ぶことになり、どうしても上下関係が全面に出てしまいます。この日本語と英語の違いに気づいてから、私は日本語で話すときもあえて「工場長」とは呼ばずに「〇〇さん」と呼ぶようにしていました。

この頃、D社からは日本人の副社長と、アメリカから日本人の主席研究員(私の上司)の方が来られました。お二人とも年齢や職階を問わず、誰に対しても「さん」付で呼び、「です」「ます」言葉で話していました。英語圏の対等な文化を日本語にするとこうなる、というお手本でした。

以上の私の経験は、英語圏の考え方に慣れたあと、日本の考え方や職場カルチャーに苦労した例です。その逆も真なりです。英語圏での考え方や価値観の違いに戸惑うことは必ず出てきます。しかしそれも慣れです。英語をマスターしていけば自然に身につくものです。英語を綺麗に話せる人ってちょっと日本人離れしていませんか?その要因の一つは、こういった価値観の違いが言葉の端々に出ていることもあると思います。

心理学・言語学の研究例

このように英語と日本語では、自分の言動も変わってしまうし、人間関係も変わってくるのです。ある程度英語のそれに慣れるための努力も必要ですが、英語をマスターすることによって自動的に自分の考え方や価値観は変わります。最初に述べましたが、それは自然なことだということが、心理学や言語学の研究から明らかになっています。いくつか紹介しましょう。

日本語と英語のバイリンガルの人に、何が描かれているのかハッキリとしない絵を見せ、何が描かれているかを日本語で訪ねると、「この女性は自殺を考えている」と解釈します。しかし別の日に同じ絵を見せて英語で訪ねると、「縫い物をしている」と解釈したといった例[1]があります。同じS. Ervin-Trippによる研究で、日英バイリンガルの人に、”Real friends should…” 「本当の友達は。。。べきだ」と途中で切れている文を思いついた言葉で補完させるテストをしたところ、英語では”be frank.”であり、日本語では「互いに助け合う」となります[2]。

これは何も日本語と英語という全く違う言語だけの現象ではなく、ヨーロッパ語圏内でも違いが出てきます。ドイツ語と英語のバイリンガルの人に、あるビデオを見せ、英語で「情景を説明してください」とテストしたところ、「女の人が自転車に乗っている」と答えたのに対して、ドイツ語でテストをすると、「女の人が自転車でスーパーに買い物に行くところ」となる。つまり英語では動作に着目しているのに、ドイツ語では目的(あるいは未来)に着目しているのです[3]。

これらはどれも、バイリンガルの同一人物が、言葉が変われば見方や価値観、考え方が変わることを実験的に証明した例です。言葉が変われば価値観も考え方も明らかに変わるのです。

だからあなたも、英語の頭になれば考え方や価値観が変わるのは当たり前なのです。それは人間は言語を使って「考えている」からです。同じことを考えているつもりでも、英語で考えているときと日本語で考えているときは、考えが変わっている。人間の頭と言葉はそういう関係なのです。

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[1] Scudellari, M., Does Your Language Shape Your Personality? New Scientist, Feb. 6, 2016, p31
[2] Ervin-Tripp, S., An Analysis of the Interaction of Language, Topic, and Listener, American Anthropologist, 66 (1964) 86-102. DOI:10.1525/aa.1964.66.suppl_3.02a00050
[3] Athanasopoulos, P., Bylund, E., Montero-Melis, G., Damjanovic, L., Schartner, A., Kibbe, A., Riches, N., Thierry, G., Two Languages, Two Minds: Flexible Cognitive Processing Driven by Language of Operation, Psychological Science, 26 (2015) 518-526. DOI:10.1177/0956797614567509

[*] 余談ですが、日本の残業問題は、挨拶を英語に(あるいは英語と同じ意味の日本語に)変えるだけで解決されるかもしれない、と私は思っています。残業問題は職場の文化であり、文化はそれを構成する人々の考えの集合体だからです。

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