noteを開始して3ヶ月が経ちました。
お疲れ様です。eponaです。
サムネに深い意味はないです笑
良いシーンではありますけどね。
時が経つのは早いもので、4月末に始めたnoteも3ヶ月目に突入しました。
「文章を書く」という行為を未だかつてないほど厳しく(?)自分に課した3ヶ月間でした。とにかく毎日言葉を紡ぐ。単純なようで過酷な作業です。ときに辛くもありました。うんと頭を捻る必要があるし心も解放しなくてはならないので。手首が軽い腱鞘炎になり湿布を貼りながらタイピングしていました笑。
”産みの苦しみ”だなんて表現は素人の私には畏れ多くて使えませんが、無から何かを作り出すというのはやはり大変ですね。数々の発明による文明社会の恩恵を受けている自分は幸せ者かもなぁと、やけに広大なスケールで物思いに耽ったりもしています。
最近考えたことを書いてみます。
少し長くなりますがよければお付き合いください。
1. 映画感想記事について
これに関しては悲しいお知らせがありまして…
noteを始めた頃はすでに観たことのある作品を見返しながら「おすすめだよー」というレビュー記事を書いていたんですね。実はまだまだストックがあるんですが、ここ最近は少しマイナーな作品だったり古い作品だったりすると「ビューやスキが伸びないのでは…?」と考えるようになってしまったんですよ。いやーこれは情けない。映画が好きで観ているはずなのに、気づいたら一番なりたくない大人になってしまいました笑。
さらに言うと、今までは映画を観るのは休日の楽しみだったんです。時間ができたら次はこれを観ようとリストに加えていたんですね。ところが最近は映画を観る体力なんて全く残っていない平日に「ダメだ…記事にするために何か観なきゃ…」と血眼で映画を探していることもあります笑。そんな私自身が何よりも”ホラー”ですよね。
その一方で2ヶ月目の記事に書いた「映画好きさんと繋がりたい」という夢は少しずつ実現できておりまして、コメントでやりとりさせていただくのが非常に楽しいです。そこそこ!というポイントが一致していると嬉しいですね。他のnoterさんがお勧めしている映画を観て新しいジャンルの良さを知ることもあり、ラブロマンス以外の食わず嫌いはだいぶ治ってきました。私は他の人より3回転くらい捻くれているので、あまりにもハッピーエンドの映画は本能的に避けてしまいます。
もともと映画に没頭する時間は私自身をチャージするためのもので、一旦現実から離れる貴重な機会だったんです。そのことを改めて思い出してまず自分が作品ををちゃんと味わうこと、そして他者の評価は芳しくなくても自分の好きを大切にしていこうと思います。趣味が苦行になってしまったら元も子もないので。”初心忘るるべからず”ですね。
2. 裸になっていく私
ここ最近は自分の内面的な部分と言いますか、核みたいな部分に触れるような記事をいくつか出しました。
ここに書かれている内容はまさに門外不出で、家族も含め誰にも言ったことがないエピソードがたくさん含まれています。だからいきなりネットの海に放流するのは怖かったですね。いやーすごい怖かった。いつもスキしてくださる方々にフォロー解除されるんじゃないかと思うと"公開ボタン"がなかなか押せませんでした。
こういう内容ってリアルで近しい人には余計に言いづらいじゃないですか。変に気を遣われたり心療内科受診を勧められるかもしれないので、安易に口に出せないんですよ。だからどうしたら良いか分からないまま胸の奥の箱にしまってありました。何年もかけて追熟させていたんです。たまに引っ張り出してはしげしげと眺めてみたり、そうしてるうちにフラッシュバックして不意にダメージを喰らったり笑
noteに限らずSNSは不特定多数の方に公開するので、共感していただける方に届きやすいという利点があります。もちろん「何こいつキモ、、」と思った方もたっくさんいると思いますが、フォロワーさん以外の方からもスキを頂いたりして感動というより驚きに近かったです。こんな自分を受け止めてもらえたんだという驚きです。
この間、精神科の医師が「忘れる力が弱い人=抽象化するのが下手な人」とおっしゃっていてまさにそうだなと思いました。嫌なことをいつまでも鮮明に覚えていて固執している私のような人間は過去に囚われてなかなか前に進めない。タイムループものの映画は面白いけど実際にやってたらダメですよね。過去の失敗を綺麗さっぱり忘れることは無理でも、なるべく俯瞰して共通する要素だけを抽出する作業は大切だと思います。そうやって導き出した共通点だけを未来に持っていけば良いのかもしれません。同じ過ちを繰り返さないために。
自分にとっては嫌な記憶や経験であっても、それが同じように苦しんでいる人の力になるのであればどんな経験も供養できる気がします。noteに書かせていただいた黒歴史に関しては、心の中でお線香をあげて何とか成仏してもらいたいものです。
3. noteのおかげで私の正体が明らかになってきた
noteを始める前の私は「仕事以外何もしていない」人間でした。仕事終わりや休日もこれといって予定はない。デートに行く相手も電話する友達もいないし、世話をする子供もいない。愛犬は実家にいるので普段は会えません。自由といえば自由だけどあまりに生産性が無さすぎて「私はいてもいなくてもどっちでも良いよなぁ」って思っていたんですね。
もちろん映画を観たり、図書館や美術館に行ったりと好きなことはしていたけど、何ていうか…私が何をしていても何を考えていても共有する相手がいないから、ここで生きてるぞ!っていう証?ログ?みたいなものが一切この世界に残らないんですよ。漠然としているのですが個人的にはそれがすごく怖かったんです。このままひっそりと歳だけとって、それこそ自分や他人の悲しみ一つも癒せないで死んでいくのかなって。映画JOKERでアーサーも"For my whole life, I didn't know if I even really existed.”(僕は人生でずっと、自分が本当に存在しているのかすら分からなかった)と言っていて、まさにまさにその通りでした。
それがnoteを始めて少しずつ変わってたんです。
たとえ記事が読まれなくても私がしたことや思考した内容は文字として記録されるし、ありがたいことに読んでくださる人がいる。コメントをいただけることもある。こんなに嬉しいことはなかったですね。他の方の記事にお邪魔して足跡を残させていただいたり。承認欲求といえばそうなのかもしれませんが、もっと根幹の「私は一体誰なの?」という不安が少しずつ解消されてきたような気がしています。
まだまだ記事にしたいことがたくさんあるのですが…何より時間と体力が足りません。以前受講すると宣言した精神看護のオンライン研修もまもなく始まるので、これからますます忙しくなると思います。記事が出せない日はつぶやきのみ更新していますが、今後もペースは落ちてくるかもしれません。生存確認程度に覗いていただけたら幸いです。これからもどうぞ宜しくお願い致します☺︎
暑い日が続きますのでお身体ご自愛ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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