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大谷選手の報道が苦しい人、正直に挙手🙋‍♀️🙋🙋‍♂️

 私はもし街頭インタビューで「大谷選手の活躍、どうご覧になりますか?」と聞かれたら何て答えるか決めている。「私は野球のことは詳しくありませんが、同じ日本人としてとても誇りに思いますし、大谷選手をきっかけにアメリカの方々が日本に興味を持ってもらえたら嬉しいなと思います。スポーツを通して日米関係の改善に貢献している大谷選手の活躍は素晴らしいと感じます。」よっしゃ100点。これを言ってる女が映ったらそれは私だ。ミヤネ屋、ゴゴスマ、every。何でもかかってこい。ほぼ引きこもってるからインタビューはされないんだけど。

 この間、母親が私にぽつりと言った。
「〇〇(私の弟)さ、大谷くんと同い年なんだよね…」
あ、そっか。意識したことなかったけど確かにそうだ。男として、いや人間としても、全方位で大敗を喫した我が弟。でもここに比較することの罠が潜んでいる。何かと比較するから優劣が生まれ、そこから劣等感が誕生し、もれなく自尊心を低下させる。連日の大谷フィーバーで持ち前の劣等感がムクムクと成長している方はいないだろうか。何者にもなれない自分を情けなく感じることはないだろうか。ちなみに私は大いにあります。

 収入、名誉、地位、ルックス、教養。もはや何を取っても大谷選手に勝てない弟だが、大谷選手になくて弟にあるものがある。それは”思い出”だ。私が初めてお姉ちゃんになったあの日、小さな小さなベッドで寝ていたあいつと出会った。私が小学4年生のとき、あいつはぎこちなく大きなランドセルを背負って入学してきた。そわそわしながら見てたけど内心とても誇らしかった。家族で初めて子犬を迎え入れた日も、父さんと最後に会ったあの日も、母さんが家出したあの日も。隣には同じ景色を見ている弟がいた。互いに多くは語らなかったけれど。大谷選手じゃなくて、あいつがいた。

 唯一無二って多分そういうこと。

 ナチスの強制収容所から生還した心理学者ヴィクトール・E・フランクルは著書の中で、名もなき人の生き方こそが偉大と述べている。良い言葉だ。

 ちなみにペットショップの店員さんに聞いたのだが、犬同士は互いの犬種を認識せず、デカい犬だな、ちっこい犬だな、くらいにしか感じないらしい。当たり前と言えば当たり前だが。3代目の我が家のわんこも、見たところデコピンと自分を比較している様子は全くない。さすが我が愛犬。

(このセーター、見たら分かる安いやつやん)


 比べるのは過去の自分とだけなんて、かっこよく生きられたら良いですね。
一歩ずつ。日々精進。人生というマウントを降りるその日まで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



 


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