はじめに
「義人はいない。ひとりもいない」聖書にはそう書いてあります。
ここから多くの人が、人はただ罪を赦され続けるしかなく、義人にはなれないと思い込んでいます。
しかし、それは十字架の力を知らない、悲しい状態です。
今から本当の十字架の力について、聖書が何と言っているのか、ご一緒に確認してみましょう。きっと、あなたの信仰生活が素晴らしいものに変わります。
「義人はいない」の意味
「義人はいない。ひとりもいない」それは、ローマ人への手紙三章に書かれています。
「義人はいない」その意味は、神を求めることなしには、誰も義人とはなれないということです。
義人はいます。神を求める人はいます。そのような人だけが天の御国に入れると聖書は教えています。
信仰による義
律法の行いによっては誰も義とされない、そう聖書は教えています。
つまり、誰も自力では神の前に義とされないということです。
そう言ったあと、パウロはこう続けます。
私たちはキリスト・イエスの贖いによって義とされる。これが聖書の教えです。
ここで注意してください。間違ってはいけません。
「義とされる」とは、罪を帳消しにされることを指すのではないのです。
義を行う者が義人
義を行う者が義人。この当たり前のことを、聖書はわざわざ騙されるなと警告しています。騙される時代が来ることを、神様は知っておられたからです。
義を行う者が義人です。義を行わないなら、その人は義とは認められません。不法を働く者です。
再臨のとき、不法を働く者はどうなるでしょう。
不法とは、罪であり、神の律法である十戒に違反することです。
諦めの神学
現代の神学は、人は義人にはなれないと教え、私たちの信仰生活を諦めに導いています。
「律法など守れるわけがない」
「守れたとしても、アダムの罪が転嫁されているのだから意味がない」
「そもそも、律法は廃されたのだ」
そうやって人々をがんじがらめにして、律法遵守から遠ざけているのです。
目を覚ましてください。律法は廃されていません。アダムの罪も転嫁されていません。私たちは罪を犯さない者になれます、信じるならば。
本当の十字架の力
十字架の力を侮ってはいけません。聖書にはこう書いてあります。
これが本当の十字架の力です。イエス様は、私たちを罪の刑罰から救うだけでなく、罪から救ってくださるのです。十字架には、私たちを本当の義人、すなわち、義を行う者に変える力があるのです。
不信心な者を義とする方を信じる人だけが、義認を受けて、新しい命に歩めるのです。
おわりに
あなたは、「不信心な者を義とするかた」を信じていたでしょうか。
救い主が私たちを「もろもろの罪から救う」と信じていたでしょうか。
「悪魔のわざを打ち破るために」御子が来たことを信じていたでしょうか。
「罪を離れ、義に生きるため」に十字架があったと信じていたでしょうか。
信じる者は救われます。
諦めの神学を捨てて、聖書から本当の十字架の力を知りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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