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隠されてきた十字架の力

はじめに

「義人はいない。ひとりもいない」聖書にはそう書いてあります。

ここから多くの人が、人はただ罪をゆるされ続けるしかなく、義人にはなれないと思い込んでいます。

しかし、それは十字架の力を知らない、悲しい状態です。

今から本当の十字架の力について、聖書が何と言っているのか、ご一緒に確認してみましょう。きっと、あなたの信仰生活が素晴らしいものに変わります。

「義人はいない」の意味

「義人はいない。ひとりもいない」それは、ローマ人への手紙三章に書かれています。

ローマ人への手紙
3:10 次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない、神を求める人はいない
3:12 すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。

「義人はいない」その意味は、神を求めることなしには、誰も義人とはなれないということです。

義人はいます。神を求める人はいます。そのような人だけが天の御国に入れると聖書は教えています。

マタイの福音書
13:49 世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け
13:50 そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

信仰による義

律法の行いによっては誰も義とされない、そう聖書は教えています。

ローマ人への手紙
3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

つまり、誰も自力では神の前に義とされないということです。
そう言ったあと、パウロはこう続けます。

ローマ人への手紙
3:21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
3:22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
3:23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

私たちはキリスト・イエスのあがないによって義とされる。これが聖書の教えです。

ここで注意してください。間違ってはいけません

「義とされる」とは、罪を帳消しにされることを指すのではないのです。

罪を帳消しにされた人が義人ではない

義を行う者が義人

ヨハネの手紙 第一
3:6 すべて彼におる者は、罪を犯さない。すべて罪を犯す者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。
3:7 子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である。

義を行う者が義人。この当たり前のことを、聖書はわざわざだまされるなと警告しています。だまされる時代が来ることを、神様は知っておられたからです。

義を行う者が義人です。義を行わないなら、その人は義とは認められません。不法を働く者です。

再臨のとき、不法を働く者はどうなるでしょう。

マタイの福音書
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』

不法とは、罪であり、神の律法である十戒じっかいに違反することです。

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

諦めの神学

現代の神学は、人は義人にはなれないと教え、私たちの信仰生活を諦めに導いています。

「律法など守れるわけがない」
「守れたとしても、アダムの罪が転嫁されているのだから意味がない」
「そもそも、律法は廃されたのだ」
そうやって人々をがんじがらめにして、律法遵守から遠ざけているのです。

目を覚ましてください。律法は廃されていません。アダムの罪も転嫁されていません。私たちは罪を犯さない者になれます、信じるならば。

マタイの福音書
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

申命記
24:16 父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである

ヨハネの手紙 第一
3:8 罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子みこが現れました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

本当の十字架の力

十字架の力を侮ってはいけません。聖書にはこう書いてあります。

マタイの福音書
1:21 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。

ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

テモテへの手紙 第二
4:18 主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。

これが本当の十字架の力です。イエス様は、私たちを罪の刑罰から救うだけでなく、罪から救ってくださるのです。十字架には、私たちを本当の義人、すなわち、義を行う者に変える力があるのです。

ローマ人への手紙
5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

不信心な者を義とする方を信じる人だけが、義認を受けて、新しい命に歩めるのです。

ローマ人への手紙
4:5 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

おわりに

あなたは、「不信心な者を義とするかた」を信じていたでしょうか。
救い主が私たちを「もろもろの罪から救う」と信じていたでしょうか。
「悪魔のわざを打ち破るために」御子みこが来たことを信じていたでしょうか。
「罪を離れ、義に生きるため」に十字架があったと信じていたでしょうか。

信じる者は救われます。

ローマ人への手紙
3:31 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

諦めの神学を捨てて、聖書から本当の十字架の力を知りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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