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中東イスラエルとは

はじめに

聖書はイスラエルの歴史を記す本だと言っても過言ではありません。

そのイスラエルは、聖書の中で様々な呼び名で呼ばれています。

神の民聖なる国民アブラハムの子孫聖徒──

ところが現代、多くの教会が、聖書の語るイスラエルとは別のものを「イスラエル」と呼んでいます。

1948年に建国された中東イスラエルがそれです。

これは聖書の語るイスラエルでしょうか。

慎重に確認してみましょう。

中東イスラエルは、聖書の語るイスラエルか

結論から言えば、現在中東にあるイスラエルという国は、聖書の語るイスラエルではありません。人の手によるものです。

イスラエルとは、血筋を指すのではなく、神との正しい関係を持つ人々を指します。

使徒の働き
3:22 モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。

3:23 彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。

ヨハネの手紙 第一
2:22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。

2:23 御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。

父だけを信じたり、聖霊だけをあがめたりすることはできません。
御子みこを否定するなら、その人たちは神を持たないのです。

思い込みを捨てて、聖書の言葉を確認してみてください。

ローマ人への手紙
2:28 というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。

ローマ人への手紙
9:8 すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。

ガラテヤ人への手紙
3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。

血筋外見でアブラハムの子孫となることを、聖書は一貫して否定していることを覚えてください。

神の国はあなたがたから取り上げられて──

マタイの福音書
21:43 それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。

この言葉のとおり、御子みこを否定したユダヤ人たちからは神の国が取り上げられ、実を結ぶ異邦人に与えられました。

するともう、ユダヤ人は救われないのでしょうか。
そんなことはありません。

ローマ人への手紙
11:23 しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。
11:24 なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。

ユダヤ人であっても、悔い改めるなら、接がれます。
しかし、曲解してはいけません。

イスラエルの民族的救いというわな

次の聖句をもとに、イスラエルの民族的救いが起こると教える人たちが現れました。

ローマ人への手紙

11:25 兄弟たち。あなたがたが自分を知恵ある者と考えないようにするために、この奥義おくぎを知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、

11:26 こうして、イスラエルはみな救われるのです──

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

「イスラエルはみな救われる」と書いてあるので、ユダヤ人は全員救われるというのです。この救いにあずかるには、アブラハムの血を数パーセント受け継いでいなければなりません

もうおわかりかと思いますが、そんなものは聖書の教えではありません。
血筋外見で子孫とみなされるのではない、というのが聖書の教えだからです。

「イスラエルはみな」とは、キリストを信じた本当のイスラエルのことを指しているのです。

民族的救いについては、ローマ人への手紙自体が否定しています。

ローマ人への手紙
9:27 また、イザヤはイスラエルについて叫んでいる、「たとい、イスラエルの子らの数は、浜の砂のようであっても、救われるのは、残された者だけであろう。

ローマ人への手紙
9:6 ──イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく
9:7 また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである──

ローマ人への手紙
11:14 私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

パウロは、同胞であるユダヤ人が全員救われるとは言っていません

これに逆らって、「民族的救いがある!」と言うのは、「中東イスラエルと聖書のイスラエルを結び付けたい」という人間的な思いから来ているのではないでしょうか。

中東イスラエルとは何なのか

中東イスラエルは、私たちを惑わすために造られたサタンの模造品です。

これに多くの人がだまされています。

ヨハネの黙示録
3:9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。

ヨハネの手紙 第一

4:3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

イエスを告白しない霊は、神から出たものではありません
この偽りのイスラエルから、彼らを助け出し、彼らのうち何人かでも救わなければなりません。

彼らは、自分たちこそ選民だと思わされており、キリスト・イエスを受け入れる必要を感じていないのです。
そのうえクリスチャンまでが、彼らは別の方法で救われると言うなら、どうして助かる人があるでしょう。

彼らを助けたいのであれば、真理に目を向けなければなりません。
イエス・キリストと個人的な関係を結ぶ以外に、救いはないのです。

ありもしない「民族的救い」を教えることは、彼らを悔い改めから遠ざけ、サタンの計画を手伝うことになってしまいます。

だまされてはいけない

中東イスラエルの建国には、様々な奇跡が伴ったようです。
これにだまされてはいけません。だまされれば滅びます。

テサロニケ人への手紙 第二
2:9 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
2:10 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

真理は私たちに何と言っているでしょうか。

ガラテヤ人への手紙

4:28 兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子である。

ヤコブの手紙

1:1 神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。

ガラテヤ人への手紙

6:15 割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。

6:16 この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。

聖書は、イエス・キリストを受け入れた私たちこそが、本当のイスラエルだと教えています。
もう、サタンの模造品をイスラエルと呼んではいけません。

おわりに

中東イスラエルとは、私たちをだまサタンの模造品です。
目に見えるものに私たちが弱いことを、サタンは知っているのです。

パレスチナに「イスラエル」という名の国を建国すれば、クリスチャンがそちらに目を向けるようになることは、わかりきっていたことです。
そこに神殿が建とうものなら、多くのクリスチャンは自分が神の宮であることを忘れ、歓喜してにせの神殿に目を向けることでしょう。

だまされてはいけません。

聖書に出てくるイスラエル聖徒、また神殿神の宮を自分のこととして読まないなら、私たちは真理を見失ってしまいます。

神学はサタンによって着々と汚染され、その姿を変え続けています。
これに対抗するには、御言葉みことばの剣を握るしかありません。

悪魔がどんなに世論を欺こうとも、聖書が真理を教えてくれます。
だからこそ、聖書に書いてあるとおりを教え、守り通さねばならないのです。

マタイの福音書
5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

思い込みや、惑わしを捨て、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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