中東イスラエルとは
はじめに
聖書はイスラエルの歴史を記す本だと言っても過言ではありません。
そのイスラエルは、聖書の中で様々な呼び名で呼ばれています。
神の民、聖なる国民、アブラハムの子孫、聖徒──
ところが現代、多くの教会が、聖書の語るイスラエルとは別のものを「イスラエル」と呼んでいます。
1948年に建国された中東イスラエルがそれです。
これは聖書の語るイスラエルでしょうか。
慎重に確認してみましょう。
中東イスラエルは、聖書の語るイスラエルか
結論から言えば、現在中東にあるイスラエルという国は、聖書の語るイスラエルではありません。人の手によるものです。
イスラエルとは、血筋を指すのではなく、神との正しい関係を持つ人々を指します。
父だけを信じたり、聖霊だけを崇めたりすることはできません。
御子を否定するなら、その人たちは神を持たないのです。
思い込みを捨てて、聖書の言葉を確認してみてください。
血筋や外見でアブラハムの子孫となることを、聖書は一貫して否定していることを覚えてください。
神の国はあなたがたから取り上げられて──
この言葉のとおり、御子を否定したユダヤ人たちからは神の国が取り上げられ、実を結ぶ異邦人に与えられました。
するともう、ユダヤ人は救われないのでしょうか。
そんなことはありません。
ユダヤ人であっても、悔い改めるなら、接がれます。
しかし、曲解してはいけません。
イスラエルの民族的救いという罠
次の聖句をもとに、イスラエルの民族的救いが起こると教える人たちが現れました。
「イスラエルはみな救われる」と書いてあるので、ユダヤ人は全員救われるというのです。この救いに与るには、アブラハムの血を数パーセント受け継いでいなければなりません。
もうおわかりかと思いますが、そんなものは聖書の教えではありません。
血筋や外見で子孫とみなされるのではない、というのが聖書の教えだからです。
「イスラエルはみな」とは、キリストを信じた本当のイスラエルのことを指しているのです。
民族的救いについては、ローマ人への手紙自体が否定しています。
パウロは、同胞であるユダヤ人が全員救われるとは言っていません。
これに逆らって、「民族的救いがある!」と言うのは、「中東イスラエルと聖書のイスラエルを結び付けたい」という人間的な思いから来ているのではないでしょうか。
中東イスラエルとは何なのか
中東イスラエルは、私たちを惑わすために造られたサタンの模造品です。
これに多くの人が騙されています。
イエスを告白しない霊は、神から出たものではありません。
この偽りのイスラエルから、彼らを助け出し、彼らのうち何人かでも救わなければなりません。
彼らは、自分たちこそ選民だと思わされており、キリスト・イエスを受け入れる必要を感じていないのです。
そのうえクリスチャンまでが、彼らは別の方法で救われると言うなら、どうして助かる人があるでしょう。
彼らを助けたいのであれば、真理に目を向けなければなりません。
イエス・キリストと個人的な関係を結ぶ以外に、救いはないのです。
ありもしない「民族的救い」を教えることは、彼らを悔い改めから遠ざけ、サタンの計画を手伝うことになってしまいます。
騙されてはいけない
中東イスラエルの建国には、様々な奇跡が伴ったようです。
これに騙されてはいけません。騙されれば滅びます。
真理は私たちに何と言っているでしょうか。
聖書は、イエス・キリストを受け入れた私たちこそが、本当のイスラエルだと教えています。
もう、サタンの模造品をイスラエルと呼んではいけません。
おわりに
中東イスラエルとは、私たちを騙すサタンの模造品です。
目に見えるものに私たちが弱いことを、サタンは知っているのです。
パレスチナに「イスラエル」という名の国を建国すれば、クリスチャンがそちらに目を向けるようになることは、わかりきっていたことです。
そこに神殿が建とうものなら、多くのクリスチャンは自分が神の宮であることを忘れ、歓喜して偽の神殿に目を向けることでしょう。
騙されてはいけません。
聖書に出てくるイスラエルや聖徒、また神殿や神の宮を自分のこととして読まないなら、私たちは真理を見失ってしまいます。
神学はサタンによって着々と汚染され、その姿を変え続けています。
これに対抗するには、御言葉の剣を握るしかありません。
悪魔がどんなに世論を欺こうとも、聖書が真理を教えてくれます。
だからこそ、聖書に書いてあるとおりを教え、守り通さねばならないのです。
思い込みや、惑わしを捨て、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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