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よちよちクリスチャンの聖書ノート

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幼子のようなクリスチャンの私が、幼子のような目で聖書から発見した真理をお伝えします。
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#真理

聖書は本当は何と言っている?

聖書、それは一体誰のものでしょう。 聖書自身が次のように教えています。 世の中にはたくさんの聖書解釈があります。そして、それらは必ずしも一致するものではありません。そんな教派の一つを、自分の信じるものとして採用してしまってもいいものでしょうか。イエス様の時代、パリサイ派とサドカイ派、どちらが正しかったでしょう。 残念ながら、どちらも間違っていました。 人々が真理に立つには、主流派の神学から脱出する以外になかったのです。 正しいのは、神の言葉、聖書だけです。つまり、私たち

聖書の教える真理

はじめにあれをせよ、これをするな、そうやって人々を押さえつける教会を、私は間違いだと思っています。 けれどそれ以上に、信じるだけでよい、あなた方の天国行きは確定している、そう教える教会は、もっととんでもない間違いを犯していると考えます。 なぜならそれは、真理を教えていないからです。 教会は、真理を教え、人々が自らキリストに従いたくなるように導かなければなりません。 私にそれがうまくできるかどうかは分かりませんが、主が助けてくださることを信じます。 以前の私私には、自

真理に歩むとは

はじめに「真理」という言葉は、私たち日本人にとって「本当のこと」という程度の意味しかありません。 それで、「真理」を知っていれば、真理に属している気になるのです。 けれど、ユダヤ人にとっては違います。 彼らにとって「真理」とは、歩むものなのです。また、従うものであり、行うものなのです。 私たちもこの認識を持たなければ、けっして真理を受け取ることはできません。 ご一緒に聖書から確認してみましょう。 真理とは何か異邦人である私たちは、ピラトと同じ質問をするでしょう。

分離されていないクリスチャン

はじめに私は長年、キリストの側に分離されていないクリスチャンでした。 ただ自分が救われていることを確信し、世の人々と同じように歩んでいました。 なぜなら「クリスチャンは全員救われる」という教えを信じていたからです。 けれど、それは聖書の教えではありませんでした。 世から分離されているクリスチャンの方々を見たとき、私はショックを受けました。自分が滅びる側の人間であったことを、はっきりと悟ったのです。 あなたはどうでしょうか。 謙遜さが残っているなら、必ずあなたは変わ

異端とは

はじめにインターネット上で、こんなやりとりを見かけます。 「質問です。あの人は異端でしょうか」 それに対して、誰かが答えます。 「異端です」 すると尋ねた本人は、こう返事します。 「ありがとうございます。もう、あの人のメッセージを聞くのはやめておきます」 ・・・これでいいのでしょうか。 異端という言葉異端。それは、正統派と異なる思想、信仰、学説のことを指します。 注意してほしいのは、異端とは、けっして間違ったものを指しているのではない、ということです。 あくま

一致という罠

はじめに昨今、多くの教会で「一致」が叫ばれており、それはまるで美しい響きのように歓迎されています。 けれど、私たちはこの「一致」に気をつけなければなりません。 イエス様の時代を思い出してください。 対立していたはずのパリサイ派とサドカイ派が一致して、どうなりましたか? 真理を攻撃したのです。 すべての一致が正しいわけではありません。 聖書の教える一致とは何か、慎重に確認してみましょう。 イエス様が来た理由イエス様は何のために来られたのでしょうか。 主ご自身、次のよ