異端とは
はじめに
インターネット上で、こんなやりとりを見かけます。
「質問です。あの人は異端でしょうか」
それに対して、誰かが答えます。
「異端です」
すると尋ねた本人は、こう返事します。
「ありがとうございます。もう、あの人のメッセージを聞くのはやめておきます」
・・・これでいいのでしょうか。
異端という言葉
異端。それは、正統派と異なる思想、信仰、学説のことを指します。
注意してほしいのは、異端とは、けっして間違ったものを指しているのではない、ということです。
あくまでも、主流派と違った教え、それが異端と呼ばれるだけなのです。
使徒たちの時代、イエス様の教えが異端と呼ばれていました。
異端というレッテルは、簡単に人々の思考を停止させ、憎悪を引き出します。
ある人を異端と決めつけるだけで、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心などの罪を人々に犯させることができるのです。
ゆえに、「異端、異端」と決めつける人を、警戒する必要があります。
彼らはサタンの手先となっているかもしれないからです。
真理を伝える人は、いつも少数派
聖書を見ればわかるように、真理を伝える人は、いつも少数派でした。
ノアも、モーセも、エリヤも、ヨシュアとカレブも、そしてイエス様も、たった一人、主流派の教えと戦って、真理の回復に努めたのです。
そして衝撃の事実がここにあります。
正しかったのは、いつも異端と呼ばれる彼らのほうであり、人々が真理に立ち返るには、主流派の教えから抜け出すしかなかったのです。
当時、人々はイエス様を見て、誰かにこう尋ねたことでしょう。
「あの人は異端でしょうか」
すると誰かが答えます。
「異端です。彼はベルゼブルの力で悪霊を追い出しているそうです」
人々はうなずいて、こう返します。
「ありがとうございます。もう、あの人の話を聞くのはやめておきます」
・・・こんなことを続けてはいけません。
聖書を調べなければならない
その教えが正しいかどうかは、聖書から確かめるしかありません。
主流派に属していることが、偶像になってはいませんか?
自分と違う意見の人を、間違いだと決めつけてはいませんか?
それは完全に謙遜を失った人の姿です。
教えを受けたなら、はたしてそのとおりかどうか、聖書を調べなければならないのです。
そのようにする人だけが、真理をつかむことができるからです。
怠惰な人は、けっしてこの道を歩くことはできません。
大切なもの
多くの人々が、多忙のあまり、聖書を調べることをしません。
しかし思い出してください。
大切なものは一つだけだと主は言われませんでしたか?
あなたの時間を奪っているそれは、本当に主の教えを聞くこと以上に大切なことですか?
主流派の堕落
主流派が真理からそれていくことは、すでに預言されていたことです。
こうなったのは、私たちクリスチャンが生ぬるい教えを好んだからです。
「信じるだけで救われる」「戒めは守らなくてよい」そんな教えが主流派を占めるようになりました。
あなたはどうでしょうか。真理に立っているでしょうか。
おわりに
聖書はいつの時代も、少数の信仰者について教えています。
それらはすべて、今の終わりの時代に向けての警告なのです。
聖書を見てください。
主流派が正しかった時代などあるでしょうか。
覚えてください。
主流派にいることは危険であると、主ご自身が警告しているのです。
これは聖書が繰り返し伝えているメッセージです。
真理に立ちたければ、聖書から確かめるしかありません。
これを怠るなら、けっして真理にたどり着くことはないのです。
どうか、聖書を確かめてみてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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