見出し画像

異端とは

はじめに

インターネット上で、こんなやりとりを見かけます。

「質問です。あの人は異端でしょうか」

それに対して、誰かが答えます。

異端です」

すると尋ねた本人は、こう返事します。

「ありがとうございます。もう、あの人のメッセージを聞くのはやめておきます」

・・・これでいいのでしょうか。

異端という言葉

異端。それは、正統派と異なる思想、信仰、学説のことを指します。

注意してほしいのは、異端とは、けっして間違ったものを指しているのではない、ということです。
あくまでも、主流派と違った教え、それが異端と呼ばれるだけなのです。

使徒たちの時代、イエス様の教えが異端と呼ばれていました。

使徒の働き
24:5 さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。
(途中省略)
24:14 ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、

異端というレッテルは、簡単に人々の思考を停止させ、憎悪を引き出します。

ある人を異端と決めつけるだけで、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心などの罪を人々に犯させることができるのです。

ガラテヤ人への手紙
5:20 ──敵意、争い、そねみ、怒り、党派心──
5:21 ──わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない

ゆえに、「異端、異端」と決めつける人を、警戒する必要があります。
彼らはサタンの手先となっているかもしれないからです。

真理を伝える人は、いつも少数派

聖書を見ればわかるように、真理を伝える人は、いつも少数派でした。

ノアも、モーセも、エリヤも、ヨシュアとカレブも、そしてイエス様も、たった一人、主流派の教えと戦って、真理の回復に努めたのです。

そして衝撃の事実がここにあります。

正しかったのは、いつも異端と呼ばれる彼らのほうであり、人々が真理に立ち返るには、主流派の教えから抜け出すしかなかったのです。

マタイの福音書
23:13 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。

当時、人々はイエス様を見て、誰かにこう尋ねたことでしょう。

「あの人は異端でしょうか」

すると誰かが答えます。

異端です。彼はベルゼブルの力で悪霊を追い出しているそうです」

人々はうなずいて、こう返します。

「ありがとうございます。もう、あの人の話を聞くのはやめておきます」

・・・こんなことを続けてはいけません。

聖書を調べなければならない

その教えが正しいかどうかは、聖書から確かめるしかありません。

使徒の働き
17:11 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心からおしえを受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。
17:12 そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった──

主流派に属していることが、偶像になってはいませんか?
自分と違う意見の人を、間違いだと決めつけてはいませんか?

それは完全に謙遜を失った人の姿です。

教えを受けたなら、はたしてそのとおりかどうか、聖書を調べなければならないのです。
そのようにする人だけが、真理をつかむことができるからです。
怠惰な人は、けっしてこの道を歩くことはできません。

大切なもの

多くの人々が、多忙のあまり、聖書を調べることをしません。

しかし思い出してください。
大切なものは一つだけだとしゅは言われませんでしたか?

ルカの福音書
10:41 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
10:42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

あなたの時間を奪っているそれは、本当にしゅの教えを聞くこと以上に大切なことですか?

マタイの福音書
13:22 また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。

主流派の堕落

主流派が真理からそれていくことは、すでに預言されていたことです。

ペテロの手紙 第二
2:1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
2:2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである

こうなったのは、私たちクリスチャンが生ぬるい教えを好んだからです。

テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう

「信じるだけで救われる」「戒めは守らなくてよい」そんな教えが主流派を占めるようになりました。

あなたはどうでしょうか。真理に立っているでしょうか。

ヨハネの手紙 第一
2:4 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない

おわりに

聖書はいつの時代も、少数の信仰者について教えています。

それらはすべて、今の終わりの時代に向けての警告なのです。

マタイの福音書
24:9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
24:10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
24:11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
24:12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

聖書を見てください。
主流派が正しかった時代などあるでしょうか。

覚えてください。
主流派にいることは危険であると、しゅご自身が警告しているのです。

マタイの福音書
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

これは聖書が繰り返し伝えているメッセージです。

真理に立ちたければ、聖書から確かめるしかありません。
これを怠るなら、けっして真理にたどり着くことはないのです。

どうか、聖書を確かめてみてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

(気に入った記事はSNSでシェアしていただければ幸いです)