分離されていないクリスチャン
はじめに
私は長年、キリストの側に分離されていないクリスチャンでした。
ただ自分が救われていることを確信し、世の人々と同じように歩んでいました。
なぜなら「クリスチャンは全員救われる」という教えを信じていたからです。
けれど、それは聖書の教えではありませんでした。
世から分離されているクリスチャンの方々を見たとき、私はショックを受けました。自分が滅びる側の人間であったことを、はっきりと悟ったのです。
あなたはどうでしょうか。
謙遜さが残っているなら、必ずあなたは変わることができます。
イエス・キリストの到来
キリストは何のために来られたのでしょうか。
イエス様が来られる前、バプテスマのヨハネは次のように言いました。
打ち場の麦をふるい分け、一方は倉に納め、もう一方は火で焼くというのです。
原文では、「彼の打ち場」を徹底的に清め、「彼の小麦」を倉に納めると書かれています。籾殻には「彼の」がつきません。
これが分離です。
この分離をするために、主が来られるというのです。
実際、その方は来られ、人々にこう言いました。
分離に関する教え
分離に関する教えを、イエス様は何度も語られました。
分離に与らない者は、泣いて歯ぎしりすることになると、じつに七度も語られたのです。
これらの教えは、信者と未信者について語っているのではありません。
御国、すなわちクリスチャンについて語っているのです。
何によって分離されるのか
私たちクリスチャンは、何によって分離されるのでしょうか。
火で焼かれる人たちは、誰であると教えられていたでしょうか。
躓きとなる者と、不法を行う者です。
聖書が「不法」と言うとき、それは犯罪を指すのではなく、神の戒めである十戒の精神に逆らうことを指します。
火で焼かれる人たちとは、すなわち、神の戒めを破ったり、破るように教えたりする人たちのことです。
イエス様の教えにぶれはありません。
戒めを守らない人は、天国にはいないのです。
キリストの側に分離されるには
間違った教えのために、多くのクリスチャンがキリストの側に分離されていません。
神の戒めを守っていなかったり、天国に行くために嫌々守ろうとしている人は、キリストの側に分離されていないのです。
まずは、キリストが私たちを分離するために来られたことを知りましょう。
そして、キリストが死なれたのは、私たちが不法から離れ、義に生きるためであることを知りましょう。
これは弟子たちの共通認識です。
これこそが、聖書の教える恵みであり、本当の福音です。
この真理を受け入れる人は、この恵みをただで受け取ることができるのです。
おわりに
神の戒めを無視して生きてきた私たちが、罪を離れ、義に生きるようになる。それが聖書の教える恵みであり、分離です。
神の戒めを愛し、どんな困難よりも、神の義を優先する。そのような心を、私たちはいただくことができるのです。
この聖別を受けていないクリスチャンは、泣いて歯ぎしりすることになります。
パリサイ派の人々と同じように、聖書の教えを受け取らず、牧師や神学の教えを握りしめたからです。
聖書の真理だけが、私たちをキリストの側に分離します。
その分離を、主は切に願っておられるのです。
今、本当の聖書の教えを受け取りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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