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分離されていないクリスチャン

はじめに

私は長年、キリストの側に分離されていないクリスチャンでした。

ただ自分が救われていることを確信し、世の人々と同じように歩んでいました。

なぜなら「クリスチャンは全員救われる」という教えを信じていたからです。

けれど、それは聖書の教えではありませんでした。

世から分離されているクリスチャンの方々を見たとき、私はショックを受けました。自分が滅びる側の人間であったことを、はっきりと悟ったのです。

あなたはどうでしょうか。

謙遜さが残っているなら、必ずあなたは変わることができます。

イエス・キリストの到来

キリストは何のために来られたのでしょうか。

イエス様が来られる前、バプテスマのヨハネは次のように言いました。

マタイの福音書
3:11 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:12 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。

打ち場の麦をふるい分け、一方は倉に納め、もう一方は火で焼くというのです。

原文では、「彼の打ち場」を徹底的に清め、「彼の小麦」を倉に納めると書かれています。籾殻もみがらには「彼の」がつきません。

これが分離です。
この分離をするために、しゅが来られるというのです。

実際、その方は来られ、人々にこう言いました。

マタイの福音書
10:34 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
10:35 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
10:36 そして家の者が、その人の敵となるであろう。

分離に関する教え

分離に関する教えを、イエス様は何度も語られました。
分離にあずからない者は、泣いて歯ぎしりすることになると、じつに七度も語られたのです。

マタイの福音書
13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

これらの教えは、信者と未信者について語っているのではありません。
御国みくに、すなわちクリスチャンについて語っているのです。

何によって分離されるのか

私たちクリスチャンは、何によって分離されるのでしょうか。
火で焼かれる人たちは、誰であると教えられていたでしょうか。

つまずきとなる者と、不法を行う者です。

聖書が「不法」と言うとき、それは犯罪を指すのではなく、神の戒めである十戒じっかいの精神に逆らうことを指します。

火で焼かれる人たちとは、すなわち、神の戒めを破ったり、破るように教えたりする人たちのことです。

マタイの福音書
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう──

イエス様の教えにぶれはありません。
戒めを守らない人は、天国にはいないのです。

マタイの福音書
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

キリストの側に分離されるには

間違った教えのために、多くのクリスチャンがキリストの側に分離されていません。

神の戒めを守っていなかったり、天国に行くために嫌々守ろうとしている人は、キリストの側に分離されていないのです。

まずは、キリストが私たちを分離するために来られたことを知りましょう。
そして、キリストが死なれたのは、私たちが不法から離れ、義に生きるためであることを知りましょう。

これは弟子たちの共通認識です。

テトスへの手紙
2:14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。

ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

これこそが、聖書の教える恵みであり、本当の福音です。
この真理を受け入れる人は、この恵みをただで受け取ることができるのです。

おわりに

神の戒めを無視して生きてきた私たちが、罪を離れ、義に生きるようになる。それが聖書の教える恵みであり、分離です。
神の戒めを愛し、どんな困難よりも、神の義を優先する。そのような心を、私たちはいただくことができるのです。

この聖別を受けていないクリスチャンは、泣いて歯ぎしりすることになります。
パリサイ派の人々と同じように、聖書の教えを受け取らず、牧師や神学の教えを握りしめたからです。

聖書の真理だけが、私たちをキリストの側に分離します。
その分離を、しゅは切に願っておられるのです。

ヨハネの福音書
17:16 わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。
17:17 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。

今、本当の聖書の教えを受け取りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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