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真理に歩むとは

はじめに

「真理」という言葉は、私たち日本人にとって「本当のこと」という程度の意味しかありません。

それで、「真理」を知っていれば、真理に属している気になるのです。

けれど、ユダヤ人にとっては違います。

詩編
86:11 主よ、あなたの道をわたしに教えてください。わたしはあなたの真理に歩みます。心をひとつにしてみ名を恐れさせてください。

彼らにとって「真理」とは、歩むものなのです。また、従うものであり、行うものなのです。

私たちもこの認識を持たなければ、けっして真理を受け取ることはできません。

ご一緒に聖書から確認してみましょう。

真理とは何か

ヨハネの福音書
18:37 ──わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。
18:38 ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」──

異邦人である私たちは、ピラトと同じ質問をするでしょう。
「真理とは何か」

聖書にはこうあります。

詩編
119:160 あなたのみ言葉の全体は真理です。あなたの正しいおきてのすべてはとこしえに絶えることはありません。

ユダヤ人にとって真理とは、神の言葉のすべてでした。

そんな彼らに向かって、イエス様は驚くべき発言をされたのです。

ヨハネの福音書
14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

なんと、ご自身こそが真理であり、神のもとへ行く道であると告げられたのです。

神の言葉のすべて、それが人として来られたのです。

ヨハネの福音書
1:14 そしてことばは肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

このことを信じますか?

この方に属し、この方の道を歩み、この方に従い、この方の教えを聞いて行う者でなければ、神のもとへ行くことはできないのです。

真理とは、知るものではなく、歩むものだからです。

戒めを守らないなら、真理はない

ヨハネの手紙 第一
2:4 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない

戒めを守らないなら、真理はその人のうちにありません。キリストに属さないということです。

戒めとは何でしょう。

ヨハネの手紙 第一
3:23 その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。

戒めとは、イエス・キリストの御名みなを信じ、互いに愛し合うことです。

御名みなを信じるとは、この方にはすべてを捨てて従う価値があると信じ、全力でこの方を愛することです。

互いに愛し合うとは、自分自身のように、隣人を愛することです。

これは十戒じっかいを守ることによって実践されます。

  1. 神のほかに神があってはならない。

  2. 偶像を造ってはならない。

  3. 神の名をみだりに唱えてはならない。

  4. 安息日を聖とせよ。

  5. 父と母を敬え。

  6. 殺人をしてはならない。

  7. 姦淫かんいんをしてはならない。

  8. 盗んではならない。

  9. 偽証してはならない。

  10. 隣人のものをむさぼってはならない。

これが、神を愛する方法と、人を愛する方法を、私たちに教えるものです。
安息日をけがしながら神を愛することはできませんし、偽証しながら人を愛することはできません。そのような人は偽り者なのです。

真理の道がそしりを受ける

ペテロの手紙 第二
2:1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
2:2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。

にせ教師が現れ、大勢の人々が彼らの放縦を見習い、真理の道がそしりを受けるとあります。

つまり、間違いを教える教師が現れて、多くのクリスチャンを偽りの自由に引き入れ、戒めを守る道がそしりを受けるようになるというのです。

もうお気づきかと思いますが、この預言は成就しています。
十戒じっかいを守りましょう、安息日を守りましょう」と呼びかけるなら、たちまち「律法主義者だ!」「救いは恵みによるのだ!」とみつかれてしまう時代です。

彼らは自分たちをあがなってくださったしゅさえも否定して、速やかな滅亡を自分の身に招いているのです。

しゅは、何と言われたでしょうか。

マタイの福音書
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

おわりに

聖書の語る「真理」とは、知るものではなく、歩むものなのです。
真理そのものであるイエス・キリストに聞き従い、従順に歩むことが、救いの達成につながるのです(ピリピ2:12)。

いえ、そもそも、そうせずにはいられない人が、クリスチャンではないでしょうか。
キリストに背くクリスチャンとは、一体何者なのでしょう。

にせ教師の放縦に見習ってはいけません。これは聖書が警告していることです。
しっかりと目を覚まし、真理に歩みましょう。

そのためには、偽りの神学を捨て、聖書に立ち返る必要があります。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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