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よちよちクリスチャンの聖書ノート

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幼子のようなクリスチャンの私が、幼子のような目で聖書から発見した真理をお伝えします。
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#十字架

聖書は本当は何と言っている?

聖書、それは一体誰のものでしょう。 聖書自身が次のように教えています。 世の中にはたくさんの聖書解釈があります。そして、それらは必ずしも一致するものではありません。そんな教派の一つを、自分の信じるものとして採用してしまってもいいものでしょうか。イエス様の時代、パリサイ派とサドカイ派、どちらが正しかったでしょう。 残念ながら、どちらも間違っていました。 人々が真理に立つには、主流派の神学から脱出する以外になかったのです。 正しいのは、神の言葉、聖書だけです。つまり、私たち

癒やされる人、癒やされない人

はじめに聖書には、イエス・キリストによる癒やしの奇跡がたくさん書かれています。 ところが、イエス様でさえ癒やせなかった人たちが聖書には出てきます。 それは誰でしょうか。なぜ癒やせなかったのでしょうか。 そもそも、癒やしとは一体、何だったのでしょうか。 これはとても大切なことですから、ご一緒に聖書から確認してみましょう。 癒やされなかった人たち癒やされなかった人たち。それはナザレの人々です。彼らは幼少期のころからイエス様を見てきた人たちです。まさか自分たちの知人がメシア

聖書の教える真理

はじめにあれをせよ、これをするな、そうやって人々を押さえつける教会を、私は間違いだと思っています。 けれどそれ以上に、信じるだけでよい、あなた方の天国行きは確定している、そう教える教会は、もっととんでもない間違いを犯していると考えます。 なぜならそれは、真理を教えていないからです。 教会は、真理を教え、人々が自らキリストに従いたくなるように導かなければなりません。 私にそれがうまくできるかどうかは分かりませんが、主が助けてくださることを信じます。 以前の私私には、自

なぜ律法があるのか

はじめにあなたは律法が好きですか。 クリスチャンであっても、意見が分かれるのではないでしょうか。 律法とは何でしょう。 神様は、どうして律法をお与えになったのでしょうか。 これを正しく知らなければ、真のクリスチャンとはいえません。 今、ご一緒に聖書から確認してみましょう。 律法がなければ罪がない?多くのクリスチャンが、勘違いしていることがあります。 それは、「律法がなければ罪はない」とか、「律法が罪を制定した」という認識です。 そうではありません。 先にあったのは

十字架の贖いだけでは不十分なのか

はじめに私たちは、十字架の贖いによって赦されました。 ただそれだけで、私たちは救われ、天国に入れるのではないでしょうか。 多くのクリスチャンが、そんな疑問を持ったことがあると思います。 これについて、聖書はどう教えているでしょうか。 とても大切なことですから、慎重に確認してみましょう。 贖いだけで十分である聖書は次のように教えています。 贖いだけで十分です。私たちが支払うものは何もありません。 神の恵みにより、贖いによって、私たちは義とされるのです。 しかし、こ

私たちの知らない、本当のイエス様

はじめに聖書は、イエス・キリストが神であり、人となって地上に来られたことを教えてくれます。 このことを、私たちは本当に正しく理解しているでしょうか。 じつのところ、多くのクリスチャンが、 聖書と異なったイエス・キリストを信じさせられています。 今、本当のイエス・キリストについて、聖書から慎重に確認してみましょう。 神は唯一神は唯一です。 まずはこのことをしっかりと理解しましょう。 ここで注意してください。 父なる神と、イエス・キリストが、別々にいるのではありません。

隠されてきた十字架の力

はじめに「義人はいない。ひとりもいない」聖書にはそう書いてあります。 ここから多くの人が、人はただ罪を赦され続けるしかなく、義人にはなれないと思い込んでいます。 しかし、それは十字架の力を知らない、悲しい状態です。 今から本当の十字架の力について、聖書が何と言っているのか、ご一緒に確認してみましょう。きっと、あなたの信仰生活が素晴らしいものに変わります。 「義人はいない」の意味「義人はいない。ひとりもいない」それは、ローマ人への手紙三章に書かれています。 「義人はい