マガジンのカバー画像

よちよちクリスチャンの聖書ノート

195
幼子のようなクリスチャンの私が、幼子のような目で聖書から発見した真理をお伝えします。
運営しているクリエイター

#救い

聖書は本当は何と言っている?

聖書、それは一体誰のものでしょう。 聖書自身が次のように教えています。 世の中にはたくさんの聖書解釈があります。そして、それらは必ずしも一致するものではありません。そんな教派の一つを、自分の信じるものとして採用してしまってもいいものでしょうか。イエス様の時代、パリサイ派とサドカイ派、どちらが正しかったでしょう。 残念ながら、どちらも間違っていました。 人々が真理に立つには、主流派の神学から脱出する以外になかったのです。 正しいのは、神の言葉、聖書だけです。つまり、私たち

聖書には何が書いてあるのか

はじめに聖書には一体、何が書かれているのでしょうか。 気になりますね。 一言で言うなら、こうです。「イエス・キリストは愛なる神である」 愛なる神、イエス・キリスト聖書は、イエス・キリストが私たちの創造主であることを教え、この方が私たちを愛してくださっていることを知らせてくれます。 この方によらずにできたものはありません。ゆえに、私たち全員が、この聖書の神に関係しているのです。 世はサタンの支配にあるアダムが罪を犯して以来、私たち人類はサタンに属してしまいました。 そ

マフィアの信仰

はじめにマフィアの中には、イエス・キリストの贖いを信じる人がたくさんいます。 彼らは、自分たちの罪が赦されることを確信し、天国に行けることを心から信じて、安心して麻薬取引や殺人を行っているのです。 もちろん彼らは、キリストが自分たちの罪の身代わりとなって死に、墓に葬られ、三日目によみがえったことを心から信じています。 このような信仰について、聖書は何と言っているでしょうか。 とても大切なことですから、ご一緒に確認してみましょう。 世の終わりについての教え多くの教会は

「救われた」と「救われる」の違い

はじめに聖書には、救いに関して、「救われた」と表現する箇所と、「救われる」と表現する箇所があります。 この完了形と未来形の救いは、気分によって書き分けられているのでしょうか。 もちろん違います。 ここには、現代の私たちが知っておくべき、大切な真理があります。 ご一緒に聖書から確認してみましょう。 完了形の救い驚くことに、「救われた」という完了形の救いは、聖書にはほとんどありません。 ほんの一部の箇所だけが、救いを完了形で記しているのです。 完了形の救いが印象に残っ

口で告白すれば救われるのか

はじめに「ただイエス・キリストを信じて、口で告白するだけで救われる」 多くの教会でそう教えられています。 これは本当でしょうか。 本当だとしたら、聖書はクリスチャンに対して、一体何をこんなにも警告しているのでしょうか。 ここに、一つの落とし穴があります。 多くの人が、この落とし穴に落ち込もうとしています。 穴に落ち込まないためには、聖書から真理を回復するしかありません。 ご一緒に確かめてみましょう。 口で告白すること確かに、聖書には次のように書かれています。 「主

救いの恵みを失う、ただ二つの条件

はじめに私たちは、価なしに、神の恵みによって義とされると聖書は教えます。 ところが聖書は、ある二つの条件により、私たちがこの恵みを失う可能性があると教えます。 とても大切なことですから、ご一緒に確認してみましょう。 恵みを失う条件その1 自分の行いに頼るとき今の時代、律法によって義とされようとする人はいないかと思います。 けれど、罪を犯してしまう自分を見て「こんなことでは救われない」と考えてしまうことはないでしょうか。 気をつけてください、それは恵みから落ちようとし

聖書の教える救い

はじめに「私たちはキリストを信じるだけで、神の裁きから救われる。その救いが取り消されることはない」 これは神学の初歩の初歩です。 聖書の教える救いも、これと同じでしょうか。 慎重に確認してみましょう。 何から救われるのかまず、私たちが何から救われると聖書が教えているのかを見てみましょう。 「罪から」です。 神学が「裁きからの救い」を教えるのに対し、 聖書は「罪からの救い」を教えます。 このように、聖書の教える救いとは、この世の支配者サタンのもとで罪を犯していた私たち