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台所で、命のはなしをしよう①

その日外に出たときには、あたりはもう真っ暗だった。

わたしはほとんど機能しなくなった下半身を引きずり
車椅子に載せられて、車の寄せられた病院の暗く寒々しい出口にいた。

車の中には、産まれたばかりの新生児を載せられる
買ったばかりのぴかぴかの、爽やかな緑かかった空色の
ベビーシートがつけられている。




Joに手を引かれ、わたしは総合病院から
宿泊施設へと移動するところであった。

日本とは違い、欧米の病院では産後
その日のうちに退院するのが一般的だ。


欧米人とアジア人の、根本的な身体のつくりが違うのが理由で

日本やほかのアジアの国では、出産後
一ヶ月はじっと寝たきりでいるのがよいとされているが、

ニュージーランドでもまた、
産んだら家に帰るというのは通例のようだった。



家に帰れない事情があるひとのために、
出産直後に滞在するちいさな施設が用意されているらしかった。

わたしは本当は、
その日出産する予定だった自宅に帰りたかったが
滞在先のホストの老婆は、

30時間以上の陣痛の果てに意識を失い

救急車で病院に運ばれた得体のしれない外国人産婦の面倒を見るのは
これ以上はこりごりといった様子であった。



わたしは病室にて

電話ごしに数時間抵抗し暴れたのち、
クールな助産師のJo のおかげで平静をとりもどし、


素直に2泊施設に泊まることにして
そのままJoに車で送ってもらうことになったのであった。




その日はもうどっぷり日が暮れて真っ暗だったので

大きな病院を出たときも、
そのこじんまりした宿泊施設の前に車がつけられたときも

周辺の様子はまったくわからなかった。



わたしは、まだ顔もよく見えない、フガフガ音を鳴らし
帽子を被った
シワシワの小さな動物とともに
その場所に優しく淡白に、迎え入れられた。


車から車椅子に乗り、
下半身の痛みに耐えながら細く短い廊下を奥に進むと

そこにはわたしたちが泊まる、古くて清潔な
手洗い場のついた、簡素な部屋があった。




その短い時間は、
暖かく、とてつもなく心細く、

冷たく乾いたものだった。

たった独り母になった、
2014年6月9日の冬の夜の出来事だった。






Joや、産前産後に身の回りを世話してくれていたDoulaたちに
指示をして
(ドゥーラ:助産師ではないが、産前産後の身の回りのサポートをする仕事)

病室に持ってくる必要な身の周りのすべてを持ってきてもらうことになった。

そのなかには、生まれたての命を写すためのカメラも含まれていた。


自宅に用意してあった新生児用の服やタオルや
もらった妊婦用のダサいパジャマなどが運ばれてきて

足りないものがあったり、必要ないものが
混じっていたりした。

ひとしきり必要なことを伝えられたのち、
Joは帰り、わたしはいよいよ

生まれたばかりの小さな命とその場所で、
ふたりきりになった。


ベッドの向こう側には、
薄いカーテンと窓があったが、夜だったので
外の様子はまったくどうなっているのかわからなかった。


人の出入りがあって見舞客や家族の声や
赤ん坊の声がどこかからか聞こえてくるような

雑音の混じったぬくもりのある感じではなく、




そこは、無機質で、静かだった。


部屋数は10にも満たないほど
こじんまりした、古い学校のようないでたちの木調の建物のなか

ほとんどの部屋は空いていたような気がする。



親切なスタッフが、
何かあったら声かけてね、と笑いかけてくれた。

まもなく夜の分の食事が運ばれてくるのであった。



そこで運ばれてきた

山盛りの大きなプレートは、

瞑想センターで腹を空かせた夜中に

産まれて初めて食べたフィジョワと同じくらい


心身ともに疲れきってボロボロだったわたしの身体と心を、
慰めるものだった。






病院に数時間いた、施設に移るまでの間
呆然としていたわたしに

Joが、何か食べるものはいるかと

サンドイッチとオレンジジュースを売店で買ってきてくれた。

最後にきちんと食べたのがいつか思い出せないほど、
陣痛から生まれてくるまでに時間差があった。


出産中、おなかがすいたとき用に
事前に自分でおにぎりを作って用意したのだが

一晩がたち、また日が暮れても生まれてこなかった間に
陣痛の合間に
細切れで眠りながら
おにぎりを齧って

それはそのうち消えてなくなった。




次第にご飯どころの騒ぎじゃなくなり、
わたしは意識を失い
気づいたら病院に到着していたのだった。


それからどのくらい時間が経過したのかは
実感としてはまったくわからなかったが、おもうに
極限にまで腹をすかせていたに違いない。



あとにも先にも、

あれほど身体を酷使した経験は

外国での難産以外に思いつかない。



Joが買ってきてくれた
ざっくりした、味のついていないサンドイッチを
噛みしめるように口に入れながら、

わたしは産んだのちも相変わらず、軽いパニック状態を続けていた。


当時まだお金の不安を手一杯に抱えていたころ

わたしの頭のなかは、自宅出産の予定が病院になったことで
支払いは何ドルに上るのだろうか

ということくらいだった。



さらにいえば、手ぶらで病院に運ばれた身であるので

オレンジジュースとサンドイッチのお金は、

あとから請求が来るのだろうか?
Joに今聞いたほうがいいのだろうか?

という
つまらぬ心配をしていたような気がする。



いまから思えば馬鹿げているが、
わたしはまだまだ今の仕事、セラピストを開始する前で
山ほどの癒されていない感情を抱えており

不安に恐れに怒りに心配に満ちていた。


ネガティブな感情には満ちているくせに、
行動はそのまま魂に沿って動くため、


人に迷惑をかける度合いがハンパなく

小さなことに過剰に神経質であった。



それは、お金のことや、食事のこと

人からどう思われるかなど

多岐に渡っており

その生きづらさがこの先180度転換する日がこようとは


その病室にいた頃のわたしは

想像だにしていなかった。


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