点と点を結んで見つけていく人生でもいい
行き先は曖昧じゃダメ?
子どもの頃、誰しも一度は聞かれたことがある言葉があります。
「将来の夢は?」
「将来何になりたい?」
そして大抵の場合、大人になってそれとは違うことをしていることが多いと思います。そして自分の進む道を選ぶタイミングが来たとき、必ずしもはっきりと明確な答えが出ないこともあるでしょう。
実際何かするときに、闇雲にもがくよりも、向かっていく場所がはっきりしている方が良いということは、重々承知しています。そして何より、人生の中で明確な目標に向かって進んでいる人は眩しいです。けれどもすべての人がそうではないことは明らかですし、その必要性もないと思っています。
今日は、《生きること》を人生という地図にある《星座》に例えてお話ししてみようと思います。
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ランダムな点を打つ人に生まれて
私はやりたいことはたくさんあります。けれども、それは明確な1つの言葉や職業として表現できません。私の現時点での幸せは、自分の豊かさの定義のもとに、生活をしていくことです。
強いていうなら、工夫して料理をしたり、食べ物を育てたり、たまにお気に入りのものを買ったり、物を作ったりすることが、幸せの源だからするというだけです。
仕事は責任を持ってやるけれど、ライスワークです。バイリンガルだけれど英語の先生になわけじゃないし、フランス語を身につけても、それを何か具体的に何か利用する予定があるわけでもありません。パターンから服を作りたいけれど、パタンナーさんになりたいからではありません。
たくさんの点を打って入るけれど、それが遠くから見たときにどんな絵になるのかは想像もつかないのです。
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星座を作っていくことと、見つけていくこと
私はよく、夢・目標と行動の関係性を《星座》とそれを構成する星である《点》に例えて考えています。
目標が明確でそれに向かって、行動をしていく人は《星座を作っていく人》です。描きたい星座を見据え、点を着実に打っていきます。
私のように、やりたいこといろいろあるけれど、それがひとまとまりでない人は《星座を見つけていく人》です。先に点を無計画に打ち、それが不思議と繋がったときに、星座が見えてきます。
この2つのスタイルに優劣はありません。性質の問題です。だた星座を見つけていく人は、迷子になったり悩んだりしがちなのかもしれないと感じます。私は、社会的に認められやすい目標に対してまっすぐ進んでいく人にちょっとした劣等感を感じます。「やりたいことをやったとして、それで何になるの?」と聞かれてしまったら、何も言えることがないからです。好きだからという理由しかないのです。
けれども、私が今ランダムに打っている点が、将来的には繋がりあって、予想もしなかったものを作り上げる可能性だってあるわけです。3カ国語で裁縫の教室をするという可能性だって否定できません。
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おわりに
《星座を作っていく》みなさん。目標に向かって進んでいく姿にいつも感銘を受けています。そして少しだけ嫉妬します。そのまま山の頂を目指してください。
《星座を見つけていく》みなさん。点と点は思わぬ形で繋がります。行き先が霧がかっているのは不安になりますが、そのときにやりたいことをやってみてください。
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