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自分から見る真実と誰かが見る真実は違う

今月は何かと夜勤とか泊まりの中抜け勤務が多くて、しかも思った以上に大変なクレーム対応もあったりして疲れた。
そんな時にふと連絡してくれるのが親。状況を話してもないのに分かっているかのように心配して連絡をくれる。「暑いしシフトもキツいんだから無理しないでね〜」とか「ちょっとだけど仕送りも送るからね」って昨日大玉の地元の八色スイカを送ってくれた。「やっぱり働いてる割に見合わない部分多いわ」って言うと、「見合わない部分も多いかも知れないけど、コロナ禍で仕事も失って明日生きるのが精一杯っていう人もいるし、病院の人たちは3年もコロナ患者を診てきてまともに出掛けたりも出来ない身なんだから、贅沢は言えないよ。」と言ってくれた。その人たちを不幸と言ってしまうのはあまりに無責任だけれど、今の幸せに不満を言える状況が幸せなんだと思うことにしている。


小さい頃からよく出掛けるのが好きで、特に海に行くのが好き。海が好きだと行きたくなるのが水族館だけど、小さい頃とは考え方が変わってしまって良くも悪くも素敵な場所だと改めて思うようになった。
水族館は魚を水槽に入れて展示しているけれど、それを見てキレイとしか思えなかった幼い頃より変わって、ずっとこの水槽に閉じ込められてるのかとか思うようになった。よく魚やイルカたちは飼育員と心を通わせているとか仲が良いって書かれている案内とかそんな風に言っているショーがあるけれど、その感情は人間が押し付けているだけで、魚やイルカたちからの返答があったわけではない。もし、その動きがあったとしてもそれはその水槽の中でしか生きられないから、そうすることでしか生きられないから人間に寄り添ってくれる風に見えているだけだと思う。そんな風に考えると、水槽っていう不自由の中に閉じ込められて一生を生きていく生き物に対して何とも思わないのはどうなの?と思うようになった。本来の自由を奪って檻や水槽に閉じ込めて不自由にする動物園や水族館がなくても人間は生きていけるのに。
セカオワのMVのロケ地で使われたしながわ水族館が、イルカショーを来年で終了するという発表をした。個人的にはとても嬉しいニュースだった。他の水族館や動物園もこの流れに乗って、生き物の本来の自由を考えていってほしいと思った。そんな感情を幼い頃から大人になるにつれて抱くことが出来るのも動物園や水族館の素敵なところなのかもしれない。


最近、本当に無理しないようにしている。自分の状況を分かるのは自分しかいないし、どれだけ自分の事を人に話しても結局は自分でしかどうにも出来ないから。
でも自分ひとりで出来る事も限られてて、その出来る事っていうのは一人ひとり違うからどうしても人は誰かに支えられないと生きていけない。だからちゃんと感謝のありがとうの気持ちは伝えないといけないと思う。本当に些細なことでもいいから。全てが当たり前だと感じてしまった瞬間、「 ありがとう 」という言葉はこの世から消えてしまうと思う。
1日の終わり寝るときでも良いから、今日も1日ありがとうって周りの人や自分自身に思うだけでも、意識で変わってくるはず。日が登ったら、今日も1日よろしくねって思うだけできっと救える人もいるから。

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