見出し画像

タイムマシンはいらない

時間が不可逆でよかった、と最近よく思う。

おそろしく優柔不断で心配性な私が、後悔だけは(ほとんど)しなくて済んでいるのは、「時間は戻らない」という全人類共通の暗黙のルールが存在してくれているからだ。

「どうしたって時を戻すことはできないのだから、今から頑張って最善の選択をしていけばいいのだ」という心持ちで生きると、ものすごく生きやすい気がする。

でも、さっき「ほとんど」とわざわざ書いたように、やっぱり後悔してしまう時もあるにはある。

というか私の日常には後悔すべき事柄が足ツボを刺激する湯壺の底みたいにゴロゴロ転がっていて、心がぐりぐり痛い。

特に、まだあまり気心が知れていない人と会話した後は悲惨で、「あの時あんなこと言ってひどく馬鹿なヤツだと思われたのではないか」「あんな言い方してもしかしたら誤解が生まれたかも」「あそこは笑うところじゃなかった」と、勝手に脳内で大反省会が開催される。

お風呂に入っている時とか、散歩をしている時とかにふと恥ずかしさがワーッと沸騰して、切腹したくなることもしばしば。

そういうどうしようもない不毛な思考の連鎖に陥ったとき、私は時間の不可逆性を思い出して頭の中のモヤモヤを掻き消すようにしている。

漫画『名探偵コナン』の中で灰原哀もこう言っていた。

焦っちゃダメ…時の流れに人は逆らえないもの…
それを無理矢理ねじ曲げようとすれば…人は罰を受ける…
(『名探偵コナン』19巻より)

その通りです、ありがとう哀ちゃん…。

人間、どうせ時の流れに逆らえないのであれば、くよくよ悩んでも仕方がない。これからどう行動するかだけを考えた方が効率が良いし、何より楽だ。楽をして生きたい。


私は今大学4年生で、8月くらいまで就職活動をしていた。
結構頑張っていたはずの就活は思うようにいかなくて、最終的には高校生の時から志望していた業界とはまったく違う会社に入社することに決めた。

でも今は自分でも驚くほどさっぱりした気持ちでいる。
「あの会社にも応募していれば」「あの時面接で別のことを答えていたら」というタラレバが脳裏を掠めることはあるけれど、例えばタイムマシンで就職活動が始まる前に戻りたいとは全然思わない。

ハッキリ言って、いちいち過去に戻るなんて面倒くさいのだ。
どうせ問題の時点に戻って状況を改善しても、そこで枝分かれした新しい未来にまた別の不都合なことが現れるに違いない。そうしたらその「未来」が「過去」に変わった頃にまた後悔が生まれ、再びタイムマシンに乗りこまなければならなくなる。
そうして幾つもの<if=もしも>の「私」がぽこぽこ生まれていく。そんなの、キリがない。

優柔不断の私は、そんな星の数ほどのパラレルワールドに存在する自分にいちいち興味を持っていたらきっと身が持たない。今ここで生きている私でたくさんだ。

7月、就職活動に絶賛苦しんでいる頃、付き合っている人に「人生取り返しがつくだろうか」と相談した。
そうしたら、「『取り返し』っていう発想は失敗を活かしきれていない気がする。僕は現状からの最善を考える方が気が楽だし合理的だと思う」と言われ、まったくその通りだと思った。

私は何事も頭の中で考えるクセがあって、理想ばかりがむくむくと膨らんでいってしまう。

大きな夢やビジョンを持つことは良いことだと思うのだけど、あまりに崇高で現実から乖離した理想に縛られて苦しみ続けるよりは、その都度の「最善」、例えば少しでも心が躍る方、少しでもたくさんお金がもらえる方なんかをひとつずつ選択していくことが私とってはシンプルで健全なことのように思える。

「bestではなくbetterを求める」。なんか自己啓発っぽいけれど、これが最近の私の標語です。

遣り切れないことがあっても、全人類が「時間」という流れるプールで平等かつ一律に流されていると思うと、何とか前を向いてやっていこうという気持ちになれる。
誰かがプールを逆走できるようになってしまったら、と想像するととてもおそろしい。

だから、優れた科学者の皆さんにはタイムマシンを発明しないでいただきたいのです。もしうっかり生み出してしまっても、どうかご内密にしておいてください。

私は今この瞬間を少しずつ過去に変え続けている自分と、何とか上手くやっていこうと足掻いていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?